カハタレ日誌

カハタレの稽古の様子

20210904メデイア現代版、能の講義

20210904、参加者、稲垣、丹澤、南出、@南出くん家


☆前回までのあらすじ
メデイアを読んでその圧倒的な復讐劇に驚かされた一同、メデイア現代版をかんがえてくるのを宿題に、能の勉強会もしようと約束するのであった。


稲垣、入ってくる。


稲垣
こんにちは


南出
こんにちは


稲垣
うわ、模様替えしてる、


南出
模様替えっていうかもともとこうやったねん、映画の撮影で、あの位置にしていて、


稲垣
あー、なるほど、っていうか最悪の事態だね、


南出
そうー、最悪、


稲垣
まあでもキャンセル待ち願うしかないわな、


南出
キャンセル待ちなんてでやんやろ、みんな受けたいやろ、


稲垣
なんか別のワークショップ、能以外とかでちょうどいいのあったらいいよね、


南出
そうねえ、講談とか、落語とか、


稲垣
一ヶ月で終わるワークショップちょうどいいな、ちょうど良すぎるな、近所の寺で座禅組めるけど、


南出
座禅、行ったことあるけど、生きてく上ではいいけど、パフォーマンスの役には立たんで、


稲垣
へえ、悟り開いてもパフォーマンスにはなんにもならんってことか、前に結縁灌頂真言宗密教儀礼に行ったことあるけど、すごい高揚感だったわ、


南出
ペニノのタコ入道もそんな感じやったよね、


稲垣
儀式は演劇の根底にあると思うけど、儀式そのものやられてもなんか違うってのが、その時の印象だったわ、深沢七郎楢山節考って小説最近読んだんだけど、姥捨山ベースの話で、70超えたおばあちゃんが、村のしきたりで山に捨てられにいくのを待ってるんやけど、捨てられにいくことが怖いって感じでなくて、光栄って感じで、早く捨ててくれって感覚の持ち主で、そんな感じで死ねるのすごいな、死ぬのはこわいよー、


南出
え、死ぬのそんなにこわい?


稲垣
え、こわいでしょ、自分の意識がなくなったらどうなるんだろうとか寝る前とか考えちゃうでしょう、


ピンポーン、


丹澤、入ってくる、


丹澤
これ、いつもどうもありがとうございます。


丹澤、お菓子を渡す。


南出
いえいえ、どうもありがとう。


丹澤
あ、模様替えしてる、


南出
あ、やっぱ気付くんや、


稲垣
いや、みんな気付くよ、


丹澤
物が少ないから簡単に模様替えできるのいいなあ、


稲垣
今ね、死んだらどうなるのか考えちゃうよねって話ししていて、


南出
そんなに真剣にかんがえやんくない?


稲垣
考えるよね、


丹澤
え、考えるよ、


稲垣
考えるよねえ、


丹澤
私、今バス乗りながらメデイアの昼ドラ版作ったよ、


二人
ええー、すげー、


稲垣
じゃ、とりあえずメデイア現代版の発表と行きますか、丹澤さんの発表お願いします。


☆メデイア現代版
●丹沢さんのメデイア昼ドラあらすじ


メデイア昼ドラバージョン
【あらすじ】
日本のキャバクラで働いていたフィリピン人女性A子は店の客だったB夫と結婚、長男も生まれ専業主婦となり幸せに暮らしていた。ある時、B夫は遊び目的で独身と偽り婚活アプリに登録、C美と出会い一夜の関係を持つ。C美に気に入られたB夫は独身と偽ったまま結婚を前提に交際を続け、C美の両親に紹介される。C美の父はB夫の働く会社の取引先の社長であった。C美の父にも気に入られ、いずれ会社を任せるとも言われたB夫は困って自分の母親D子に泣きつき相談する。もとよりA子の出自が気に入らなかったD子はC美との結婚に賛同、縁談を成功させるためA子との離婚を推進する。跡取りの孫・長男は手元に残し、A子だけを家から追い出してしまう。実父からDVを受けていたA子はフィリピンの実家にも帰れず、子供のためにもどうにか日本に残ろうとする。そして懸命に調査し自分が離縁された理由をつきとめる。どうにかして復讐したいと考えるなか、キャバクラ時代にボーイだったタイ人男性E太と再会する。E太はヤクザの女に手を出してしまい、数日中に日本から逃げる計画を立てていた。A子の身の上をきいたE太は自分とともに逃げないか、と誘う。奇しくも数日後にB夫とC美の結婚式が予定されていた。A子はB夫とD子へ復讐するためC美を殺害、また自分の息子である長男をも祖母であるD子の目の前で殺害し、E太とともに逃亡する。
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稲垣
二時間半の大作映画みたい、


南出
Netflixで見れそうよな、


丹澤
韓国ドラマ意識しました。


稲垣
取引先の社長が出てくるってのが昼ドラ感すごい、


丹澤
なんか映画かドラマの登場人物の見てるドラマみたいな感じもある。


稲垣
ちゃんとメデイアの登場人物達とリンクしてるのすごいな、


南出
この母っていうのが原作にはいないけどいい味出してるな、


丹澤
なんかイアソンみたいに強い男今いなくねって思って、母ちゃん、助けてーってすがりつく男にした、


稲垣
フィリピン女性と母の関係は愛しのアイリーン思い出すな、新井英樹漫画で映画にもなってる。


丹澤
木野花さんがやばい母親演じてるやつね、


稲垣
愛しのアイリーン映画では最後、さっき楢山節考の話してたんだけど、姥捨山みたいになるんだよね、フィリピン女性がおばさん背負って雪山の中捨てに行くっていう壮大なラスト、そんな感じの壮大なラストシーンとかで終わったら面白そうね、


南出
どうやってこれ上演するのってなるけど、それこそ講談みたいな語りの切り口でやるとかしたらラストの壮大な光景とか凄そう。


稲垣
じゃ、次僕の考えてきたのを、


●稲垣のメデイア現代版


芽衣子、部屋で呪っている。
禍々しい、セット


夫、妻と別居していたが、久しぶりに家に来てびっくりする。
やめてやめて、呪うのやめて、特に子供呪うのやめて、


夫の友達、第三者
落ち着こう落ち着こう


1場
夫と友達のトーク
こうこうこういう状態なんだよね、


ホワホワホワホワホワーン、


2場
芽衣子と夫のシーン、芽衣子呪う、法的には全く大丈夫な範囲で呪う。


3場
夫と友達のシーンに戻り、
っていう状態なのよ、やばいでしょう、やばいね、大変だね、大変でしょう、ちょっと第三者として妻呪いやめるよう説得してくれない、うーん、、まあ、わかったよ、


ホワホワホワホワホワーン、


4場
夫と友達と妻
呪い問答、


ホワホワホワホワホワーン、


5場
友達と友達の妻のトーク
っていうことがあってさ、大変だよね、うん、大変ね、呪うとかやばいよね、呪うとかやばいね、
あなたは私を呪わないの?え、呪わないよ、え、呪ってよ、呪ってよ、って何?


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南出
丹澤さんのと全然違うの面白い、


丹澤
呪いに焦点あててる感じか、


稲垣
メデイアみたいな女なかなかいないんじゃないかと思って、子供殺したり婚約相手殺したり、なかなかできないし、そんな世の中でも、恨んでる相手を呪うって行為ができる、純粋に憎いぞーって剥き出しにできる女を配置して、対照的に同じようにうまくいっていない夫婦だけど、相手を呪うことすらできないって夫婦も配置して、二組の夫婦の話しにしようというのが狙い。


南出
丹澤さんの昼ドラのドロドロしてるのと比べると大人っていうか、冷めた関係というか、


稲垣
山田太一ドラマっぽいかもね、


南出
このホワホワホワホワホワーン、ていうのは、


稲垣
これはコントに入りますよっていう合図みたいなもので、一場で夫と友達と話していて、夫がこういうことがあって、ホワホワホワホワホワーンって古典的な入りして、ってなわけで妻の呪いどうにかしてやめるように説得してくれんかね、うんいいよ、で、三人のシーンあって、っていうことがあってさ、って夫の友達と友達の妻の会話になるっていう、古典的なコントの導入が場面と場面をつなげていくみたいな、そのシーンは演じられているんだけど、誰かによって語られていることみたいな構成を思いついたわけよ、


南出
なるほど、


稲垣
で、今、二つ物語の筋ができて、前に話した、人形とバーベキュー行く話と合わせると三つもあるわけよ、これを完全に無くしておかないで、ストックしていたい、そのために稽古場日誌をつけようと思うんだけど、


なんやかんやあって、ブログでやってくことになる。


稲垣
それでは、次南出くんの能の講義お願いします。


☆南出くんの能の講義
佐野史郎伝統芸能の出会いの文章を読む
唐十郎にお前の演技じゃ映像の仕事できないと言われて、状況劇場を去る。
小津安二郎を見まくり、小津が笠智衆に言った能面の表情の演技をしてくれって言葉に感銘を受ける。


南出
表情を出さない能面の演技、リアリズムと真逆だけどそれによって人間の情が描けるのです。


●能の歴史
奈良時代雅楽に対して、散らばっているイメージとして散楽と呼ばれる
平安時代、ものまね、問答を中心とする話芸
鎌倉時代、ここで、音楽的要素が取り入れられる。
室町時代、朝廷の雅楽に対抗して、幕府の能、オフィシャルなものとして扱われるようになる。
観阿弥世阿弥の時代、滑稽なものの要素がなくなり、それらは狂言となった。
セリフだけに頼らない音の要素が加わり、人間じゃないもの、幽霊、鬼などを描く夢幻能が作られる。象徴主義的、美に特化しはじめる。


●能について
・能は能だけを指すが、能楽は能と狂言セット
・夢幻能と現在能にわけられる
・夢幻能は人間でないものが出てきたり、過去と未来を行き来したりする
・現在能は生きてる人が出てくる


●能の役割
・シテ、、、主役、能面つけてる
・ワキ、、、シテに質問するインタビュアーみたいな役割、能にはほとんど小道具がないので、ワキの語りで情景を想像させる。
・シテツレ
地謡、、、シテのセリフを数人で話す・・・コロスみたい
・ワキツレ
・間狂言、アイ、、、シーンとシーンのつなぎ目に滑稽めに出てきて、今までの整理してくれたりする。・・シェイクスピアとかでもそういうのあるよね


シテをやるのはシテの流派、ワキをやるのはワキの流派


●複式夢幻能の構造
・シテ、、、美しい女性など
・ワキ、、、旅の僧
・前半、シテがその場所にまつわる物語を他人事のように語った後、ワキの質問攻めにより、実はその物語の主人公は自分だと明かす
・後半、再び登場し、昔の場面を再現したり、舞を舞ったりする。


●五番立
・神、、、初番物、祭典、形式的、「翁」「高砂」「老松」など
・男、、、二番目物、修羅能物、平家物語とか英雄を題材にしたもの「敦盛」「清経」「忠度」など
・女、、、三番目物、鬘物「井筒」「松風」「羽衣」など
・狂、、、四番目物、雑物、その他とか狂女を描いたもの「隅田川」「道成寺」「善知鳥」など
・鬼、、、ごめん、聞いてなかった、なんだっけ?


▲狂女物の話から脱線する


稲垣
隅田川道成寺を下敷きにして、明夜、蛇になれないってモノローグ劇を書いたんだけど、それはさっきのメデイアの現代版にもつながっていて、呪うことができない、メデイアになれない、蛇になれないってことなんだと思う。


南出
世阿弥が言ってることとして、狂女物は普通の精神状態の人にはできない突き抜けるものがあって、そこを描けよ、花とせよと言ってる。


丹澤
最近の女子高生を殺害して夫婦で埋めたって事件、フィクションより現実の方が強烈だって感じした。


稲垣
犯罪を犯さないような劇の場合でも、その人にとって普通じゃない精神状態ってのを描いてる気がする。山崎哲の戯曲で、妻と子供が性的関係にあるって知った父親が、うん、そうか、とかしか言えなくて、妻に怒ってよ、て怒られて、怒る練習をはじめるシーンが衝撃だったんだけど、なんかあのあたりから怒る父親のイメージが崩壊してる気がする。うちの父親とかすごい怒ってて、それ見てるからあんまり怒らないように生きようとか思ってて、


南出
なんか断絶があるよね、ある世代から、僕ら第7世代はあんまりやっぱ怒らないもんね、っていうか怒れないよね、


丹澤
ママと娘が友達みたいな関係ってのもそういう流れからなんだと思う、上の関係性見てるから、うちらは仲良くしようみたいな、


南出
なんかなあ、信念のなさがすごいよね、


岡田利規訳の「松風」を読む


・稲垣が海人をアマでなくウミンチュと読んでしまい爆笑が起きる。
・松が人に見えて抱きつこうとするくだり面白い、
・姉妹と一人の男の関係って結構すごい関係よね、
・二人姉妹、遊ばれたとしか思えない、
・空の月と、水に映る月とで、月が二つあるってくだり面白い
・掛言葉が駄洒落みたいになっちゃう、


▲なんか、松の話になる。


稲垣
なんか太田省吾のエッセイに出てくる戸井田道三ってかたの能の本があって、能ってのは待つって行為が密接にあるって言ってて、橋掛かりに松があり、背景にも松が描かれ、何か得体の知れないものを待つんだって言ってて、まさに松で、待ってて面白かった。


南出
三島由紀夫の近代能、班女と古典の班女の違い面白くて、古典は待って待って会えてハッピーエンドなんだけど、三島の方は、待って待って、ついに現れるんだけど、あなたじゃないわ、あなたを待ってたんじゃないわ、ってなって、待つことそのものを求めてるって感じで面白い。


稲垣
ゴドーを待ちながら、に対してやってきたゴドーって作品を別役さんが書いてて、それも、ゴドーやってきて、やってきましたよって言うんだけど、なかなかこないなあ、みたいな、コミュニケーション全然できないみたいな感じで終わった気がする。


●能のまとめ
劇、それは何事かの到来
能、それは何者かの到来


シテが誰のことかわからない物語を語り、客がそれは誰だとなり、実は私だと全てが繋がった瞬間に到来する何者か、個人というより情念、もっと大きな名指せないもの、存在自体を到来させるものである。


※宿題、松風、現代版考えられるなら考えてくる。


☆団体名について
なんだかんだで、カハタレ、しっくりきてきたからカハタレでいいじゃんって感じで、しばらく使ってみて様子を見る。




☆次回、国立劇場で能を見る
その次の週、シェイクスピア読んでサロメ読んで、丹澤さんの喜劇講義!