20211002 参加者 稲垣、丹澤、南出@稲垣家
☆前回までのあらすじ
先週、歌舞伎座にて九月大歌舞伎 第三部「東海道四谷怪談」を観劇した3人。初の歌舞伎座にきょろきょろしながらも、歌舞伎の世界を堪能!なかでもお岩が鉄漿と櫛で髪をすいて身づくろいするさまはとても美しく全く見飽きない!伊右衛門もさることながら、喜兵衛がやばい。意見一致。2幕目がすっと終わって、煙に包まれたような気分で劇場を後に。どんなにシリアスでも笑いもあり、初心者でもとてもみやすかったし、引き込まれました!さすがエンタメ!
そして、今回こそは、これまでなんとなく話題に上がっていたサロメをそろそろ読むことができるのか……!
あたしンちを見ている稲垣と丹澤
丹澤 あたしンち、懐かしいなあ。
稲垣 みかんちゃんかわいいよね。あ、エアコンつける?
丹澤 大丈夫かな。
稲垣 エアコンのリモコンないなあ。
南出、はいってくる。
南出 どもども。講座どうだった?
稲垣と丹澤は午前中に能の実技講座に参加していた。
丹澤 テキストこれだよ!
南出 熊野(ゆや)か!
丹澤 今日はお話の説明と、先生の謡を聞いて、すり足とか簡単な所作の練習したよ。
稲垣 雰囲気よかった。先生も優しそうだったし!
稲垣 あ、今日夜つくばいくから今日は5時くらいまでで!
丹澤 じゃあどんどんやらないとね。まずは、サロメから……
みんなで「サロメ」(オスカー・ワイルド 作/西村孝次 訳)を読む。
感想
・若いシリア人、ここで自殺すんの!?
・ヘロデの、サロメに酒を飲め&果物を齧れ、というくだりがきもい……
・ヘロデの説得長い!100羽の孔雀半分の50羽あげるとか、領土半分にこだわってたりとか、面白いな。あと聞いたこともない石がいっぱい出てくる
・それに対してサロメが「ヨカナーンの首をくださいまし」しか返さないのも面白い
・あんましゃべらんけど舞台上人めっちゃ多いな
・ヘロデはたくさんの人の前で約束しちゃったから、そうするしかなかったんだな
・序盤から不吉な予感のフラグ立ちすぎてて、絶対不吉なことが起こるに決まっている世界観。
稲垣 いろんな国の人出てくるけど、やっぱ背景がわからんからよくわからないなあ
南出・丹澤 だよね
丹澤 昔読んだときは、サロメはヘロデへの当てつけにヨカナーンの首を、といった印象が強かったんだけど。
南出 実際に読んでみるとサロメはヨカナーンを熱望してる感じが強いね。しかも首を手に入れても、本当には欲しいものは手に入れられていないっていう。
丹澤 うんうん。
稲垣 そういえば、聖書ではサロメはヘロデアに言われて、ヨカナーンの首を、ていうんじゃなかったっけ。
3人、モローの『出現』をみたりして、サロメが「ファム・ファタール」となっていったことを振り返る。
稲垣 今時、好きな相手に「君の唇はバラのように赤い」みたいなこといったらやばいよね
丹澤 やばいわ。
稲垣 詩的な表現みたいなのがもういま成立しなくなったよなあ。
というわけで、稲垣の講義に突入。
稲垣 ホントはもっとちゃんと準備したかったんけどな、ええーと、じゃ、ま、それでは、講義をはじめたいと思います。
小山聡子「もののけの日本史」より
・モノノケは漢字で「物気」。理由がわからないものはモノノケとされた。
・モノは物体だけでなく、神や霊、その力を指す。
・ケは病気、霊や鬼が発し、目に見えず漂う。触れると病をもたらす。
⇒モノノケはすごい恐れられていた。
・怨霊:平将門、菅原道真など社会で広く認識された人物の霊が社会全体に対して天災や疫病をもたらす
・モノノケ:正体が何かわからない段階で、「モノノケ」といわれた。個人や近親者に病や死をもたらす
・占いの道具だった、囲碁、双六、将棋もモノノケ退治に使われていた!
☆14Cからの霊魂観の転換
浄土に対するリアリティが減少し、他界への往生を求めないように。死後は墓地で安らかに眠り、子孫と交流するよう願われたため、能でも墓などに出てくる幽霊が描かれた。
☆近世では怪談が娯楽の一つとして大流行
近世では死霊の存在には懐疑的になっていた。また比較的平和な時代だったため刺激を求められ、怪談話として流行。
稲垣 もう一冊読んでて面白かったから紹介します!
小松和彦「異人論」より
☆井上ひさしのエッセイ『藪原検校』の冒頭(概略)
子供の時、点々と移り住んだ村に座頭池、琵琶ヶ池、盲沼、等と呼ばれる池があった。昔、座頭や琵琶法師が誤って転落し、溺死したからと言われたが、村の人たちに殺されたというのが事実ではないだろうか。
→実際はわからないが、外部の人に語らねばならぬときに話をかえる=真実味がある
村内での「説明のできない富裕や没落、身障者の誕生」を異人の怨霊のせいにして、「あの家は異人を殺して金を奪って栄えた/没落した」などと噂話した。
→異人殺しは語り手にとって都合のよい物語に変形される
ここでドラクエ7の神父の話が登場。魔物にかえられた神父が村民に殺されそうになり、村外から来た勇者たちが、それを助ける。しかし、後の世では、勇者たちが殺そうとしていたのを村民が止めたのだと、歴史が改変されて伝承している。真実を継承してきた一族の者は、「それは事実でない」と主張するが、誰にも信じてもらえない。
稲垣 異人はたたえるものであるとともに排除したいものでもあったっていう。勇者ってふつうに村の家とかからモノとったりするからな
丹澤 え、そうなの(RPG素人)
南出 勇者ものに対して、アンチRPGを掲げたゲームで「ムーン」ていうゲームがあった。その中で、何人か自分がRPGのキャラクターだっていう自覚を持っているやつがいて、「自分はなんか操られている存在だ」ってわかってるっていう。
なんか、普通に生きてても、ふとなんか自分の意志で動いてるんじゃないっていう、感覚になることってあるよな。電車とか乗ってて、なんで今ここにいるんだろうみたいな
丹澤 あ、なんかわかるかも。あれ、いまここにいるのってあってる?みたいなときある
☆異人殺し伝説→昔話
六部殺し・・・農家が旅の六部を殺して金品を奪い、財を成す。のち生まれた子が六部の生まれ変わりで「こんな晩だったね」と断罪する。(夢十夜「第三夜」)
異人殺しの要素を抜き去るようなタイプの話が生まれる(忌まわしい伝説を抹殺)
大歳の客・・・大みそかに旅人が一晩の宿を乞い、快く泊めると、翌朝旅人は金、小判に変わっていた。【異人歓待型】
異人は神のメタファーでもあるとみられる。
★まとめ★
・異人殺しは民族社会内部の矛盾の辻褄合わせのために語りだされたものであり、異人に対する潜在的な恐怖心と排除の思想に支えられている。
・異人は社会システム維持のために具体的/抽象的に暴力と排除の犠牲にされていた。
稲垣 人と人との間で、どこに境界を引くかによってどこまでがウチでどこまでがソトかが変わってくる。何が「異人」かってことも変わるんやなっておもった。
で、異人との出会いって通過儀礼やと思うんよなあ。
Aだったのが、B(修業期間)を経験して、A‘にかわるってゆう。昔、修業したくてタイに行きたかったんだよなあ、通過儀礼しようと思って。金なくてやめたわ。
南出 大江健三郎の「飼育」もそんなかんじだね。黒人と出会った少年は彼と過ごした経験を経て成長する。村人は異人である黒人に対して、動物にするように接していて、作品としては結構怖い。
まとまったのか、広がったのかよくわからないが講義修了。
稲垣 それでは、12月に茶会記プレイアクトに参加する件ですが、
そう、カハタレ、12月に短編上演企画に参加し、作品を上演する予定ができていたのだ。
その後、稲垣プレゼンの下、今後の作品制作について話し合った。しかし結論に至るには時間が足りな過ぎた……
☆今後の予定
よって、来週は、12月の公演での上演作品について引き続きはなしあいます!