カハタレ日誌

カハタレの稽古の様子

【台本:タンザワ】20211114

0 プロローグ

木嶋、紙を見ながら読んでいる。

こんな風に年を取るとは思っていなかった。今頃は郊外の一軒家、汚れの目立たない最新の壁で施工した一軒家に住んで子供は2人。下の子が3歳になったら幼稚園に預けて契約社員から社会復帰して。小学生になるころには正社員採用であの人と二人ダブルワークしてるのが私だと思ってた。子どもたちがねだったら柴犬かトイプードルを飼おうと思ってた。
服はユニクロジーユーとモードオフとトレジャーファクトリーとメルカリで循環させて、大量生産品も自分らしく節約上手のやりくり上手の腕の見せ所。そもそもそんなところに見え張らなくても私たち充実していて幸せで、生活に追われて悩んでる時間なんてないはずだった。結婚しようってプロポーズしてくれた時私はそこまで思い描いていたけれど、あの人は何考えて私に指輪をくれたんだろう。毎月給料は飲み代とゲーム課金と奨学金の返済でなくなるし。私にしたって美容院いってネイルしてまつエクしてカフェ行って、ネットで服買ってるうちになくなるし。貯金しなきゃ一軒家なんて夢のまた夢。子ども持つ気あるのって聞いたら、「そのうち、でも今じゃないよねまだそんな責任持てないしっ」てじゃあ家は?って聞いたら「郊外とか不便だからずっと賃貸でもいいじゃん」て、そうなんだ。あれなんか違う私そろそろ妊娠して、この会社も給料上がる見込みもないしそろそろ経営がやばそうだから辞めようって思ってたのにやめられないし凄い宙ぶらりんでって…

木嶋
あっすいませんつい夢中になっちゃった。男性よりも女性のほうが現実的な考え方をするなんてよく言いますが、結婚するってなった時には、やっぱり結構具体的に、妄想するんですよねぇ。家とか子供とか介護とか。それでも結婚生活が始まってみたらそんなの全然具体的に考えられてなかったって、気が付くんだけど。もっともより現実的に考える人が増えたから、結婚しないって選択をする人も増えてきたのかもしれませんね。男性はどうなんだろう。介護のこととか、考えます?奥さんがいたら、いつでもきれいな部屋にあったかい料理がでてきて、自分は仕事してたらいいと思ってない?ダメダメよ。もちろん、女性のほうも、男性を頼ればいいってもんじゃありません。お互いにパートナーであるってことを忘れちゃいけない。恋愛はドキドキとワクワクで特別感があるけど、結婚は生活。日常を繰り返していくことですからね。結婚相手っていうのは、一緒に生きていくパートナーですからね。え、何わたしですか?えええ、もちろん、夫と良好な関係を築いていますよ。そうですね、お互いに、ええと、協力?しあって、助け合って、本当ですよ、え?なに、疑うんですか?

岩村 あのお、となり空いてます?
木嶋 空いてますよ!
岩村 どうも。おーい。こっち、空いてた。(山下を呼ぶ)
木嶋 ではわたしはそろそろお暇します。では、みなさま、ごゆっくりどうぞ。

1-1 スタバ/あったかい話

岩村
犬、知ってる?犬、飼ってるんだけど、可愛いよ、犬、三郎って名前なんだけど、チワワなんだけど、白い、ちっちゃい、犬、飼うまでは、全然興味なかったんだけど、サブちゃん、飛びかかってくるからね、玄関開けると、はっはっはっは来るからね、もうさ、超ラブリーよ、ちょっと臭いけど、ちょっとなんかドッグフードの匂いと電車の椅子みたいな生地のソファが湿気てカビくさくなったみたいな臭いと、口の臭さと皮膚の匂いとが混ざった感じの臭さあるんだけど、その臭さも含めて超ラブリーよ、もう気分もラブリーだもん、気分も世界もラブリーだもん、犬いると、犬、いいよ、犬、飼いなよ、俺、サブちゃんの話してるだけで、ちょっと元気でるもん、にやけてきてるもの、今、あ、そう、あとね、犬ね、あったかいから、どこ触ってもあったかいから、特に腹、あ、でも足もいいよ、コリコリしてて、でもやっぱ腹ね、フニフニしてて、いやー、すごいよ、犬、あ、犬じゃない?、正直この世の中で、って言うかこの世界で、一番あったかいものって犬じゃない?って今思ったんだけど、どうかな?

山下 うーん、どうだろう、
岩村 って言うか、むしろ、世の中にあるあったかいものって実は犬だけなんじゃない、
山下 や、だって、肉まんとか、 
岩村 いや、わかるよ、肉まんとかあったかいのわかるよ、だけど本当は実のところ肉まんは冷たいんじゃないかね、って、カモフラージュのあったかさってのがあって、犬の腹のみが真のあったかさなのではなかろうか、って、
山下 うーん、ホットミルクとか、
岩村 それはもう、熱いじゃん、ホットじゃん、あったかくないじゃん、
山下 あったかいけどなあ、
岩村 いや、わかるよ、肉もんもホットミルクもホットレモンもホットコーヒーもあったかいのわかるよ、
山下 あと、コタツとか、
岩村 そう、コタツもね、あったかいよね、電気毛布も電気ストーブもガスストーブも、
山下 あと、お湯ね、
岩村 そうだね、お湯ね、あー、お湯、お湯かー、お湯、は、あったかいわ、むしろ犬よりお湯の方があったかいかもしれない。
山下 ごめん何の話?
岩村 温泉行きたいね、
山下 行きたー。

    スタバのコーヒー飲む

岩村 犬、呪われてんだ。
山下 は?
岩村 犬、サブちゃん、呪われてんだ。
山下 え?は?呪われてるって何?
岩村 最近鳴き声に元気がないんだ。
山下 え?は?呪われてるって誰に?
岩村 妻に。
山下 妻に?
岩村 温泉行きてー、
山下 温泉は行きたいけど、
岩村 山ちゃんが温泉なんて言うから温泉行きたくなっちゃったじゃない。
山下 温泉はイワムラーが言い出したんだよ、急に。
岩村 あ、そうか、山ちゃんはお湯って言っただけか?温泉とか行く?
山下 うーん、行きたいんだけどね、ほら、妻がね、あんまり好きじゃなくてね、
岩村 あー、妻ね、温泉好きじゃない妻っているよねー、
山下 温泉というより旅行が好きじゃないんだよね、
岩村 あー、いるいる、旅行が好きじゃない妻っているよねー、
山下 だからむしろ、どこでもドアが欲しい、犬よりもむしろどこでもドアが欲しい。
岩村 どこでもドア?
山下 どこでもドアでドアトゥドアで温泉行きたい。
岩村 めっちゃお湯好きじゃん。
山下 旅行なんて本当良いことないよ。
岩村 あー、それかも。
山下 え、何が?
岩村 犬、呪われてる理由それかも。
山下 ん、犬、呪われてる理由それ、ってどれ?
岩村 旅行旅行、
山下 あー、えっ、そもそも犬、呪われてるってどういうこと?
岩村 見ちゃったんだよね、
山下 うん、
岩村 夜、俺いつも十時に寝るんだけど、いつも妻は俺より寝るの遅くて、いつ寝てるのか俺先に寝ちゃってるからわかんないんだけれども、夜、トイレ行きたくなって目覚めて、あ、夜間尿ってあれらしいよ、一回でも寝てる時目覚めてトイレ言ったら夜間尿なんだって、ラジオで言ってた、膀胱衰えてるんだって、いや、最近膀胱ひどくてさ、尿漏れとか、ある?

山下 尿漏れはないよ
岩村 えー、何、トレーニングとかしてるの?
山下 や、尿漏れの話どうでもいいよ、
岩村 お前尿漏れの話結構大事だぞ、今後の人生に関わる話だぞ、
山下 犬、呪われてる話聞かせて。
岩村 あ、そうそう、サブちゃん、かわいそうに、サブちゃん、なんか見ちゃったんだよね、夜間尿で起きた時、妻、犬、呪ってるの、なんか微かに音聞こえてきてて、隣の部屋から、隣の部屋、あれなんだけど、なんて言うの、横にスライドさせるドア、なんて言うの?
山下 ふすま?
岩村 ふすま、なのかな?、ふすま、さ、ちょっとさ、そーっとさ、開けてさ、開けたら妻、いてさ、


1-2  スタバ/呪いの話

岩村 なんか、ブツブツ言っててさ、
芽衣子 ブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツ、
岩村 うわー、なんかブツブツ言ってるーって思って、

芽衣子、石鹸をナイフで犬の型に掘りながら、

目、深い深い黒に、光がポツンとともる。
鼻、湿った茶色のブツブツに息が出入りする。
口、ピンク、こそばゆいピンクの口。
耳、が生きている、ジャンプするように生きている。
足、優しい白で覆われている。
尾、振られる、とてつもなく揺れる。
愛してる。愛してる。愛してる。

岩村 て、どうやらなんか、犬のこと、話しているように感じて、一人で、
山下 こえー、
岩村 話しているっていうか、呟いてる、呟いてるっていうか、唱えている、っていうか、唱えていて、

芽衣
あなたが家にやってきた時、愛を感じた。
その走り回る姿、弱い吠え方に。
あなたの毛をコロコロで掃除する時、愛を感じた。
紙に張り付くおびただしい線に、私の抜け毛と混ざる様に。
あなたが膝の上にのっかかってくる時、愛を感じた。
撫でる手に伝わる優しい感覚に、生き物の動きに。
あなたと歩く散歩道に愛を感じた。
いつものおしっこポイントに、季節によって変わる光景に。
桜、朝顔、紫陽花、モミジ、スミレ、パンジータンポポ、ヒマワリ、白詰草
愛している。愛している。愛している。愛して
岩村 いる。愛している。愛している。って、みたいなこと、言ってて、明らかに三郎ちゃんとの思い出、言ってて、
山下 こえー、のか?
岩村 のか?って俺もなって、だけどよく見て、なんか犬の形したなんか持ってて、
山下 え、どこ?
岩村 ほら、手のとこ、左手に白いのなんか持ってて、右手にカッター持ってて、
山下 うわー、こえー、
岩村 掲げはじめて、あれが犬の形してるってわかったんだけど、その白いの掲げはじめて、愛してる。愛してる。愛してる。
芽衣子 愛してる。愛してる。愛してる。
岩村 愛してる。って言いながら掲げはじめて、
芽衣子 愛は眠らない。愛は滞ることを知らない。愛は読めない文字である。愛は触れられないスマホである。さようなら。ありがとう、さようなら。
岩村 って、犬の形の白いのの首のところにカッター持ってくから、
山下 えー、
岩村 やめてーって、飛び出して行っちゃったの。俺。え、なにやってるの?
芽衣子 なにもやっていないよ。
岩村 なにもやっていないわけないでしょ。愛してる愛してる言ってたじゃん。
芽衣子 愛してたのよ。
岩村 愛してた?なにを?
芽衣子 三郎ちゃんをよ。
岩村 カッター使って?
芽衣子 わたし、カッターを使わなきゃ愛せないの。
岩村 は?
芽衣子 カッターを使ってはじめて愛せるの。
岩村 は、なに、カッターを使ってはじめて愛せるってなに?新鮮な言葉、新鮮な言葉使うね君、
芽衣子 わかんない、わかんないんだけど、
岩村 え、なに、三郎ちゃん、殺したいの?
芽衣子 わかんないって言ってるでしょ、わかんないの、あー、
岩村 って泣いちゃって、話通じなくて、ちょっと、あの、来てくれない?
山下 え、なに?
岩村 すぐそこだから、来てくれない、
山下 え、

岩村、山下を連れて、その辺を丸く歩きながら、

山下 え、今から、
岩村 うん、
山下 行くの?
岩村 うん、
山下 そこに?
岩村 うん
山下 いやいやいやいや、
岩村 いやー、ちょっとちょっとだけだから、
山下 無理無理無理無理
岩村 いやー、もう、ほら、こういうのはさ、第三者がさ、大事なんだから、
芽衣子 あーーーー、
山下 え、泣いてんじゃん、
岩村 いや、そりゃ泣くよ、ずっと泣いてんだから、
山下 え、ずっと泣いてるの、
芽衣子 あーーーー、
山下 え、俺行っても何にもできないから、
岩村 俺言ってもどうしようもないんだから。
山下 じゃあダメだよ、
三郎 ワン、ワンワンワン、
岩村 ほらあ、サブちゃんも助けてって言ってるよ、
三郎 ワンワン、ワンワン、
山下 ええー、
岩村 ただいまあ。
山下 お邪魔しまーす。
芽衣子 あーーーー。あ?誰ですか?
山下 あ、山下です。友達の。って具合で、無理矢理、本当に無理矢理連れてかれてしまって、
あや なにそれ、なんか大変だったんだね。
山下 大変だったってもんじゃないよ。
あや てゆうか、それ、呪われてるの犬じゃないよね?
山下 え。
あや 呪われてんの、岩村さんでしょ
岩村 え?そうなの?


2―1 自宅/着いた 

芽衣子 え?誰ですか?
山下 あ、山下です。友達の。
芽衣子 あ、どうもはじめまして。お構いもしませんで。
山下 いえ。お構いなく。
岩村 山下、山下!まずはカッターだカッターを押さえてくれ!
山下 はあ?
岩村 あぶねーだろ、カッター!
山下 なんで自分だけそんな遠くにいるんだよ!
岩村 刺されたらどうすんだよ、俺が。
山下 はぁあ? 
岩村 だって、俺が呪われてんだろ?さぶちゃんじゃなくて。あぶねーじゃん、俺。
芽衣子 呪ってないわよ。愛しているのよ。
岩村 はいはいそうでした。
山下 あのう、芽衣子さん
芽衣子 はい
山下 なぜその、カッターを。
芽衣子 カッターを使わないと愛せないので
山下 え、あ、そうですか。じゃあ、あ、そうだ。なんでサブちゃんを、愛している?のですか?
芽衣子 え、わかんない。え?理由、要ります? 
山下 え、、いら、ないです……。
芽衣子 です、よね。
山下 あ、そうですね。
岩村 山下、負けるな!
山下 でも、カッターは危なくないですか?
岩村 よし、いけ。
芽衣子 でも、カッターを使わないと愛せないので。
山下 あ、じゃあ、しょうがないですね。
岩村 おーい!
山下 やっぱり俺ごときでは無理だって!
岩村 そこをなんとか!
山下 お前んちの問題だろ!
芽衣子 あ、山下さん。ごめんなさい、愛すのが足りない。わたしこれから愛さなくっちゃ。
山下 え?これから?
芽衣子 さぶちゃん、さぶちゃん。
岩村 ああ、もう、勘弁してくれよぉ。もしさぶちゃんが怪我でもしたらどうするんだよ。

芽衣子 愛している、愛している。ねえ、どんな因果かわかんないね、あなたと出会ったのも。ここまで育ててきたのも、無駄だったのかな。うっかり頭をうったみたいに、突然ふっと思い出しちゃう。あなたと一緒に沈んでいった渦の底で、一生過ごすっていうこと。沈んだ先にはいろんなものが積もってて、なんだろうって思うと、それは言葉。わたしの人生を台無しにしたものの一切に復讐する、呪いの言葉。ああさぶちゃん愛している、愛しているあなたを愛している。

山下 って、また、呪い始まっちゃって。初の呪い遭遇だよ、俺。
あや それってでも、呪いっていうか、
山下 え、なにが
あや 愛なんでしょ。
山下 え?
あや 愛だって言ってるじゃん。愛だよ。
山下 ええ、まあ、愛だっていってはいるけど、でも超怖いんだよ。カッター持ってるし。
あや 愛されてんのね、岩村さん。
山下 え?なんでそうなんの?
あや そうでしょ。
山下 いや、全然わかんないけど。
あや まあ、いいけど。


2-2 自宅/問答

岩村 山ちゃん、どうにかしてくれよ。
山下 どうにかっていったって。
岩村 どうみても呪ってるだろ。このままだとサブちゃんが!
山下 原因わかんないのかよ。
岩村 わからん。
山下 そういえば、さっきお湯とか旅行とかいってなかった?
岩村 え、ああ、旅行の話か。こないだ旅行いこうとしてて芽衣子が宿とったんだけど、ペット不可のとこでさ、サブちゃんいっしょに行けないじゃんってなって、行くのやめたんだよね。だってサブちゃん一人で留守番なんてさみしいじゃん。
山下 え?それじゃね?
岩村 なんでそんなことでサブちゃんが呪われなきゃなんないんだよ。
山下 だから呪われてるの、お前だって!
岩村 え、なんで俺が呪われるんだよ。
芽衣子 だから呪ってなんかいませんって、なんでわからないのよ。愛しているんじゃない。
山下 そうですよね、芽衣子さんはそうです、愛しています、サブちゃんを!
芽衣子 そうよ、何がいけないの。
山下 なにもいけなくはないです。芽衣子さんはサブちゃんに愛情を注いでいます。
芽衣子 そうよ、あなたには関係ないでしょ。
山下 そうですね、でも芽衣子さん、なんで愛さないといけないんですか。
芽衣子 何を言っているの?
山下 サブちゃんのこと、そこまでして愛さなくてもいいんじゃないですか?
芽衣子 どうしてそんなことをいうの。私はサブちゃんを愛しています。愛しているから、愛しているの。わたしがどれほどサブちゃんのこと、かわいがって手間かけて世話してきたか、あなたは知らないじゃない。
あや いいじゃない、本当のことを言ったら。あなたが愛しているのはサブちゃんじゃなくて岩村さんでしょ。
山下 なんであやがはいってくるの
あや あなただけじゃ頼りないから。
岩村 話が全然見えないが、芽衣子、いいたいことがあるならはっきり言えよ!
山下 ちょっと黙ってて。芽衣子さん、一度、愛するのをやめてみませんか。愛さなくっていいんです。

芽衣子(チワワに) 
サブちゃん。あの人の愛するさぶちゃん。あなたに落ち度は何一つないけど。ご飯に散歩にうんちの処理に全部やっているのは私。でも私が育ててるサブちゃんをあの人はかわいがって、喜んでる。いっつも楽しいところだけとっていく。私のことは視界にも入れずに、サブちゃんだけをみている。馬鹿な人。サブちゃんはいつまでも当たり前にかわいくてあったかくてフワフワしてると思ってる。それは私が世話を焼いてるからなのに。あの人は知らん顔でただかわいがっている。今日の朝、サブちゃんにドッグフードを上げようとしたら、軽く私の右手をかんで待ても聞かずに食べ始めた。この犬、私のことなめてるなってわかった。ねえ、サブちゃん。私のこと自分よりも下に見てるのばれてるからね。
あの人の心を私から奪ったらあんたはもうおしまい。朝のご飯もやらない散歩にも連れて行かない。毛はもじゃもじゃでよだれが張り付く痩せたあばらに目ヤニのたまった目ではあの人に愛されることもなくなるだろう。あんたがあの人の関心を集められるのはその可愛さ暖かさ柔らかさのおかげなんだから。愛玩動物って不幸だね。世話されないと不幸だね。でももう私だけつらい目に合うのはうんざり。もういいや。我慢するの止めたい。傷つけられた分より多めに痛手を与えてやる。存在を呪ってやる。(カッターを振り上げる)

岩村 もうやめてくれ!俺が悪かった!

芽衣子 うるさいうるさい!あなたは犬に癒されるだけ癒されて私に触れるのを避けてる。あんなに私に言い寄って結婚したのに今では手も握らないじゃない。そうやって私の居場所をこの家から奪っていく気なの?あなたの心が私の居場所なのに作り笑いにも気づいてくれないの?もうなにもかも嫌だ。終わりにしてやる!

山下 危ない!サブちゃーん!!
岩村 逃げろー!

芽衣子 サブちゃん、どうして逃げないの。(見つめあう芽衣子と三郎)
三郎 ワン、ワン、ワン!
芽衣子 まさか、サブちゃん
三郎 クウーン(愛情を示す)
芽衣子 そんな、まさか、私のことを。愛してくれてたっていうの。
ごめんね、さぶちゃん。わたしが悪かったわ。ごめんなさい。私が間違っていた。全部あなたのせいにして。そんなことでは何も解決しないってこと、わかってたはずなのに。ごめんね、さぶちゃん。今度は一緒に、おでかけしようね。


3-1 山下家

山下 ていう、かんじで、一応、さぶちゃんは呪いから救出できたっていう。
あや ああ、そう。
山下 なんか突然劇的になってびっくりしちゃった。
あや あー。
山下 なんかふたりに振り回されたなあ。まあ、あいつらがそれでうまくいくならまあいいか。一応仲直りできたみたいだし。
あや ……。
山下 え、何。
あや 別に何も。
山下 あれ、飽きた?この話。
あや 別に飽きてないけど。
山下 なんかまた怒ってる?
あや またって何?
山下 いや、
あや っていうか怒ってないけど
山下 え?

あや ああ、そういえば、なんか、前にさあ、仕事疲れてて、夜ご飯、もうお弁当でいいよねってなってさ、私がほか弁でのり弁買ってきてっていってさ、買ってきてくれたはいいけど、ソースと醤油選べるじゃない?私さあ、いつも魚のフライは醤油で食べるのに、アジとか。絶対ソース貰ってくるの。しょうがないからさあ、家の醤油かけるわけ。だからさ、ソース余っちゃって、なんか、いっぱい溜まっちゃってるんだよね、冷蔵庫の隅に。使わないで捨てるのもあれかなーって思って、とっとくんだけど、やっぱ使わないっていう。あれどのタイミングで捨てればいいんだろうって、え?どうおもう?

山下 え、ちょ、ちょいちょい。なにそれ、それ今関係ある?
あや え?え?何が?
山下 え。怒ってんのと関係、ある、それ。ソース。

あや 何言ってんの?だから、怒ってないし。さっきからいってるけど、っていうか、もう何度目かもちょっとよくわかんないけど、ずーっと入れっぱなしなわけ。え?ティッシュだよティッシュ。多分さあ、花粉の時期とかにポッケ入れて、そのあとずっとね。いれっぱで。そうするとさあ、使えばいいけど、使わなかったらずっと入れっぱなしで、最後それ入れっぱなしだったらどうなるっていうと、ね、洗うよね、誰が?私だよねえ。するとどうなるって、あーあ、大悲劇が起きるよね。

山下 あ、そういうこと、わかったわかった。もう、謝ったじゃん。やり直しの洗濯、俺がやったし。
あや え?今更そんなことで怒るわけないじゃん。
山下 違うの?

あや 違うよ、だからね、朝、早く出て、夜、遅く帰ると、変わっていることと変わっていないことがあって、変わっているのは、テーブルの上にデリバリーの空いたプラスチックのケースがあったりとか、冷蔵庫の麦茶が残り1.5センチまで減っていることとか、シンクの中にお茶碗とお椀とお箸が一セットあることとか、変わっていないのは、明かりがついていることとか、部屋の窓が開いてカーテンが揺れてることとか、ひとり布団で寝てる人がいることとか、なんかそういうことが変わっていないんだけど、なんかもう遅いからさ、お風呂入って寝ようかなと、そうやってお風呂入ると、シャンプー切れてて、なんかああ、シャンプーはなくなっちゃったんだなあって思うけど、もうびしょびしょだし、ストック取りに行くの面倒だし、ボディソープで髪洗っとくかって、洗うとそれなりにキシキシして絶対失敗明日髪爆発ってわかってるけど、もう眠いし、いいやってなって、むりやりコンディショナーして、これでいいことになるような気がするし、実際翌朝にはなんかそれなりに毛先だけビョンビョンくらいでどうにかなったから、まあいいやってなって、それで、次の日もまたシャンプー切れてるんだけど、もう面倒くさいから次の日もボディソープでシャンプーして、毛先ビョンビョン、もはやビョンビョンでいいやってむしろビョンビョンしてるのが普通なのかもって思ってくるっていうか

山下 ちょっとまって!ずっと何を喋ってるの?全然話関係ないじゃん。シャンプーとか。俺、関係ないでしょ。

あや え?何が?
山下 俺のせいじゃないよ。
あや え、あたし、なんか言ってた? 
山下 え?どうしたの?なんかいろいろ言ってたじゃん、ソースとか、ティッシュとか、シャンプーとか。
あや 何にも言ってないけど。どうしたの。
山下 え?あれ?そうなの?いやでも。
あや 気のせいだよ
山下 え、気のせい?俺が変なの?
あや そうだよ。夢でも見てたんじゃない?

 

3-2 その後

芽衣子 (チワワに)
あー、さぶちゃん、さぶちゃん、見つめ合ってるね。あたしとさぶちゃん、見つめ合ってるね。運命はぐるぐる回る車輪のように、あなたと出会って恋をして、さまざまに骨をおって、苦労に身をすりへらしたのに、今度は別の生活に入って行こうとしている。

山下 で、その後どうよ。
岩村 いやなんかすっかり、さぶちゃん元気になってさ!家のなか走り回ってるよ。
山下 よかったじゃん
岩村 まじで、山ちゃんのおかげだわ!山ちゃんさまさま!
山下 いやいや、大したことできんかったけど。
岩村 それでさ、ちょっと聞いてほしいんだけど、夜間尿あったじゃん、夜間尿。最近夜に2回、行くようになっちゃってさ、前は1回だったんだよ、1回。今、2回。で、あんまりにもひどいから、病院行ったのよ恥を忍んで。でも原因わかんなくてさ。しかもさ、夜間尿のせいで寝不足続きで、みてこれ、にきび、肌荒れしてきちゃってさあ。あと口内炎、なんか寝不足でなるっぽいんだよ。あんまできないのに、急にできちゃって、舌の付け根とかにもあるから飯食うといてーし不便だよ、どうしよう夜間尿。山ちゃん、夜間尿対策何してる?
山下 なんもしてないよ、それ大丈夫か?
岩村 本当だよな、この年でこれだぜ?60代とかになったらトイレで暮らすしかねーよ。
山下 そういう問題じゃなくて。
岩村 え?どうゆう問題?
山下 それって、呪いじゃない?

あや
あなたの目が嫌。あたしのことを見ているようで見ていない。それでいて、他の誰かを見ている時、その目に光が宿るのがムカつく。何にも見えなくなっちゃえばいいのに。あなたの指が嫌。爪垢が溜まった指先をみるとゾッとする。そんな指であたしにさわんないでね。指を一本ずつ折ってやりたい。それはやりすぎか。指十本全部深爪になればいい。あなたの歯が嫌。1ヶ月掃除してない便器みたいに黄ばんじゃって。コーヒーの飲み過ぎじゃないの?虫歯と歯槽膿路と知覚過敏の三重苦になればいいのに。あなたの唇が嫌。小学校にあった遊具の古びたペンキを思い出す。カピカピに乾いてひび割れて。ビタミンが足りないのよ。そうとは知りながら肉ばっかり食わせてやる。あなたのへそが嫌。覗き込むと怖い。蟻地獄かよって思う。奥に黒々しているのは血の塊なんじゃないかと思う。耳かきで荒っぽく掻き出して、2〜3日腹痛になればいい。

芽衣子(チワワに)
ねえ。さぶちゃん。おっきくなったね。あなたがうちに来た時のこと覚えてる?どっちから言い出したかもう忘れちゃったけど、犬でも飼おうかって。二人でいても、間がうまんないって感じだったから、あのときは。だからあなたがきてくれてよかった。ペットショップであなたを見た時、忘れられない、あなたの目を見たの。ね、あなたの目、「あ、この人、わたしとおんなじだ」って、「人生が孤独だってわかってる目だ」って。そんな目だったのね。なんか。だから、あなたにしたの。おかしいね、あの人も同じだと思ったから、結婚したんだけどね、もう、別のとこいっちゃったなって。あの人からしたらあたしがいっちゃったって思ってると思うけど。

山下 今日の夕飯どうしよっか。
あや カレーとかでいいなら、材料あるよ
山下 カレーかあ、カレーもいいけど、たまには食べに行ってもいいかあ。
あや ふうん。そっちの財布から出してくれるならいってもいいけど。
山下 まじか、うーん。でもいいか、たまには。俺もちで。
あや えー。給料日前なのに大丈夫なの?

芽衣子 (チワワに)
あのときのことをあたしは絶対に忘れない。あのとき、一瞬の表情であたしわかっちゃった。「裏切られたな」ってね、どっちがだよ。向こうも、「あっ、俺いまやばい顔しちゃった」って気づいたんだろうね、すぐさまいつもの、申し訳なさそうな、情けない笑顔つくってさ。あたしに、こう言った。

山下 大丈夫だよ
あや 大丈夫ってなに

芽衣子 (チワワに)
その日からはもう、渦に飲みこまれちゃった感じで、気づいたら、なんか、底、みたいな、あ、これ底だよね、あたしたちいるの。でも二人ともそれを口には出さなくて、なんかもう、ちゃんとした、会話ができなくなってて、いや、当たり障りのないことはしゃべるよ。旅行の話、温泉の話、アジフライのソースの話、あの日の夕焼けの話。あなたが花粉症で目薬をさすのが下手な話、ボディソープで髪を洗った話、ドアを開けると部屋のカーテンが揺れてた話。ね、だから、会話?はしてるね。会話はしてるの。でも、ね、さぶちゃん、沈黙って二種類あるって知ってた?ひとつは言葉が一言も話されてない時、もう一つは無意味な言葉がただずっと喋り続けられてるとき。だって。もうじゃあずっと喋ってようか。ね、べらべらべらべら。あなたあなたあなた。あなたの何を恨んでいるか、あたしもう忘れてしまいたい。ただただ空虚な言葉によってあたしたち、まるごと上書きしてしまいたい。そうしてあたしたち、一緒に言葉によって飲み込まれてさ。最後は、ね。沈黙。

END