カハタレ日誌

カハタレの稽古の様子

20240331カハタレ稽古会「演劇とは何か?」

20240331カハタレ稽古会「演劇とは何か?」
参加者、稲垣、丹澤、南出、松丸、宮尾、木嶋、秋場、神田、高橋
 
 
稲垣
ああああああ、春休み終わってしまうー。
全然勉強できやんかったああああ。
そして稽古場日誌、アキバっちょのワークショップ書ききったけど、カハタレ稽古会のを記すのめんどいいいい。
でも記しとかないと後々後悔するってわかってるうううう。
だからやらなあああああ。
 
ってことで、ざっくりばらんに、ざっくばらんの稽古日誌です。
 
以下は、当日配布した資料、雑文になります。あと新企画「新頭町戯曲集」についてのガイドも書いてます。
長い!ってなったら読み飛ばしてもらって大丈夫です。
 
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演劇とは何か?
絶対に答えなんて出ない問題なんだけど、常に考えていないといけないものでもあると思う。だけどいつも思うのは、何々とは何かって個人にとっての実感的答えと不特定多数の中での答えがある気がしてて、つまり個人的な答えについては統一させる必要見ないんじゃないかと思ってる。だけど共有の必要を感じているし、話すことでよりクリアになることがあるんじゃないかと思って、今日の稽古会は好きな演劇について話す稽古会にしたいと思います。
 
いや、演劇とは何か、というより、なんで演劇をやっているのかってとこを考えたほうがいいかもしれない。演劇のどの部分に惹かれているか、どこに重きを置いているか。始めたきっかけや好きな演劇の話などしていけたらと思うのですが、劇作家俳優的に一番重要なのは演劇で何をやりたいかではないかと思う。
 
ここに個人的な線引きを持つことで、演劇の見方が変わるし、作り方も変わってくる。
 
僕の場合は、演劇を始めたのが高校2年?の頃で、南出くんに誘われて演劇部に入ったのだけど、文化祭で桃太郎の役やって、桃太郎withオールスターズっていう桃太郎どころかかぐや姫とか浦島太郎とかシンデレラとか色々出てくる松下さんってクラスメイトが書いた劇なんだけど、ああ、みんな元気かなあ、全然会ってないなあ、とか思いつつも、まあ、文化祭でふざけた劇だけど、いろんな人に見られる中舞台に立つって経験がその時初めてで、まあ楽しかった記憶はあるなあと。それで演劇部誘われて、コント集団にしてやろうという野望で持って入部したんだけど、演劇部入って、本番の1日のために稽古してるみたいなのが最初すんごい寂しかった記憶があって、本番迎えるごとに何かが終わった後の世界を生きてるみたいな、公演前と後ではなんかが変わる印象が高校演劇の頃からあったなあと。そこから外部の変なことしてる恩師がいる劇団に出入りするようになって、知らない演劇もたくさん教えてもらって、より世界が更新されていく感覚を得て、劇場創造アカデミー入って、自分の領域をはっきりさせている同期が羨ましいなあと、二葉さんがギリシャ悲劇詳しいとか、徹平さんが美術やってきたくて、とか、自分の得意な範疇、好きなものがはっきりしてる強さを感じたのね、で、自分、何にもないんだけど、渋革くんと仲良くなって色々教えてもらったり、本読んだりしてるうちに、儀礼ってワードが出るようになったんですよね。通過儀礼。つまり大人になるための儀礼、結婚するための儀礼、〇〇のための儀礼、など世間一般にはあるけど、〇〇がはっきりしていない儀礼なんでないかと思ったわけです。高校演劇始めた頃から感じていた上演前と上演後の感覚、祭り、カーニバル的なものにも近いかもだけど、何か特殊な時空間に入って日常に帰っていく。高校演劇の頃から観客にまでそういう経験させられていたのかははてなだけど、人が集まって何か見るって特殊性には敏感に感じるものがあったのかもしれないと思うわけですよ。
 
ま、まとめると、プレイヤー含めて観客のなんらかの変化、世界の更新みたいなことは常に意識してるし、感じたいことでもあるし、物語の上でもどう変化していくかってのはかなり重要なキーワードだと思ってる。
 
あとここでは何度か話しているので、箇条書きで、やりたい=ほぼほぼ見たい演劇ってことをあげてみると、
 
・密度が高い時空間を見たい。
・これを見るために俺は生まれてきたんだって思いたい。
ジーンとぼんやりと味わいある言葉やりシーンなりを植え付けて欲しい。
・自分という存在を忘れさせて欲しい、自分という境界をなくして欲しい。
・笑いたい。
・さよならをしたい。
 
うーん、ちょっととっ散らかってきたけど、総じて特殊な時空間を体験したいってことになると思う。
今、わかってることっていうか、作る上で意識していることね、何を見せたいか、どこを核としたシーンにするか、みたいなことは僕の場合は常に考えている。けどそうじゃない演劇もあるんだけど、そういうのも含めて、演劇をパフォーマンス的に見た時にどういう種類があるのかって思ってて、
 
・凝縮した時間→・に向かっていく、一言で世界が変わっちゃう的な、
・発散した時間→宇宙に向かっていく、カーニバル的なもの、
・淡々とした時間→劇的な時間は起こらないんだけど、なんかじーんとその時間が残るような感覚。
・積み重なっていく時間→リフレインとかわかりやすいけど、劇的になろうがなるまいが、何時間か公演時間があれば積み重なってくものがあるので、その積み重なりによって起こるものもある。例えばおんなじシーンが最初と最後で違く見えたりとか、言葉が違う意味として聞こえるようになるとか。
・考えさせる時間→ある物事に対してどう思いますか?って問いを投げかけるような演劇。主人公のした行為が正しいと思いますか?みたいなのはギリシャ悲劇とかそういう感じなんかな、だけど、良いか悪いか置いといてその登場人物なりの真理ってのがあって、そこに丁寧に辿り着いてくれる劇はいい劇だなあって思うな。
 
 
うーん、ちょっと正直、何を書いてるのかわからなくなってきたけど、見る時に考えてることも共有したほうがいいのかなと、演劇を観るって時に二つの態度があると思っていて、没入しちゃって何も考えない、めっちゃ考えて観る、てのがあって、基本前者で常にありたいんだけど、あんまりだなあって時とか、意味分からないって時とかはめっちゃ考えてたりする、何が悪いのかとか、どういうことなのかとか、うーん、尺度的なものもあるんだけどね、絶対的な面白さと相対的な面白さがどうしてもあって、もちろん絶対的に面白いものを僕は見たいんだけど、どうすれば絶対的になるのかは分からないけど、多分近道なんてなくて、相対的に相対的にこっちの方がいいを積み重ねていくしかないんでしょうかなんて気がしてるんだけども、ああ、もう何が言いたいのか分からないけど、ま、たくさん演劇観るほど楽しめるっていうのはあると思いますよ、尺度の話ですよね、物差しがなかったら距離測れなくて、その自分の物差しを作らないと語れないみたいなところがあるよなあと。
演劇観る時に、さまざまな物差しの当て方があって、物語を見るか、そこで起こっている出来事を見るかってのがまず重要な要素だけど、さらに枝分かれして、俳優の動きや発話が良かったとか、あの一瞬が良かったとか、音が良かった照明良かったとか、全体的に見てどうだったかとか、あのシーンだけ見てどうだったかとか色々な物差しの当て方があるよね。
じゃあ、良かったならなんで良かったのか、悪かったならなんで悪かったのか、常に考えていきたいですよね。それを自分の演技や戯曲に活かせられるんだから。そこで重要になってくるには指標ですよね、この演劇は何をしたいのかってことなのかもしれない。ああ、正直すみません。反省します。今まで僕は自分の尺度で演劇を見過ぎていたかもしれない。自分の求める演劇でないと面白くないって切り捨ててきたことを反省します。だけど本当はその演劇が何を見せたいのか、まずそこが重要な気がしてます。だけどそんなんやってる側の意図なんて見る側そんなん分からないじゃん、いやいや、と、良い演劇は分かるからって、分からないのもあるけど、あー、とっ散らかってきた、終わりまーす。
 
 
今日やること
1演劇で何をしたいかをみんなで話す。
2時間があったらグループに分かれて簡単な作品を作ってみる。
 
 
 
 
新頭町戯曲集について
 
新頭町に住む登場人物を描く戯曲って枠組みで、いつ誰がアップしてもいいという戯曲集を開始します。登場人物を共有する。町を共有する。って枠があるので、人を掘り下げたり、町を掘り下げたり、戯曲形態を掘り下げたり、どんな視点からでも書いてもらって大丈夫です。考えすぎず二時間で書けること書いて、ワンアイデアで終了とかのアイデア集、素振り感覚で使ってもらってもいいかなと思います。
良い戯曲書くにはとにかく書くこと。だけど、戯曲って発表の場がないのでとにかく書けないになりがちなところがあって、こうした枠がいいんじゃないかと思ってます。
あとは、読んだらコメントをあげるってのもやってけたらモチベーションにもつながるかなと。
↓適当な制作発表会
 
●やり方
はてなブログにアカウントを作ってもらえたら、有料会員特典で共同でブログを書くサービスがあるので、編集権限を与えて、アップしてもらうのがいいのかなと思ってます。
 
●簡単なルール
・登場人物について
新たに登場人物を増やしてもいいですし、今いる登場人物を登場させてもいい。だけど新しい人だらけになってくのもつまんないので、できれば一人くらいは既存の登場人物を使ってもらえたら楽しいかなあと。
既存の人がいる場合はできたらその人物の戯曲を何個か読んで、自分のできる範疇でいいので簡単なインプットしてから登場させてやってください。その人物の癖(思考や言動含めて)、興味の向きやすさ、体質など、なんとなくでいいのでどこかに持っといてもらえたら嬉しいです。
 
・ブログにカテゴリーってのがあって、そこに登場人物の名前のカテゴリーを作っておきますので、まとめてその人物の戯曲を読めるような工夫をしていこうと思います。
 
・これが面白いってポイントを一つくらいあれば、もう何を書いてもいいかなあと、中途半端に終わってもいいし、逆にめっちゃ完成された物語描いてもらっても大丈夫です。
 
・コンテンツ的に、私は料理レシピについて週一であげるみたいなことしてもらってもいいです。その場合も一応戯曲という体を保っては欲しいかな。(3分クッキングを戯曲にするみたいな。)
 
・ま、まちづくりゲーム的な要素もあるので、どんどん発見開発しながら楽しんで遊んでもらえれば。重要なのは戯曲を書く感覚を養うこと。書かないよりは書く方がいい。書きたいけど書けない、何書いていいかわかんない人は稲垣に本当気軽に相談ください。
 
・時系列もめちゃくちゃでもいいかなあと。続きものでわかりにくい場合は、最初にあらすじとか、時と場所とかで簡単な説明してもいいかなと。
 
・一応著作権は書いた人のものとしますので、上演するってなっても勝手に使ったりしません。だけど登場人物を共有するって枠組みなので、登場人物に関してはみんなで使わせてもらいますってことを了承ください。
 
●今いる登場人物(カハタレの演劇に登場した人たち)
岩村芽衣子の夫、牛乳が好き。
芽衣子→岩村の妻、犬に呪いをかけてる。
・山下→あやの夫、パスタをよく作る。
・あや→山下の妻、寒がり。
・ともみ→佐伯の元カノ?、おでんが好き。
・佐伯→ともみの元カレ?、怪談が下手。
・サイトウ→マッチングアプリにハマってる。
 
●これまで頭町にいた人
・劇作家Z氏→稲垣のアバター、頭町大学の講師
・峰→頭町で劇団している、謎の戯曲集を手に入れる。
・佐田原→峰の劇団仲間、よく叫ぶ。
・穴岩耳子→峰の劇団仲間、ジャージがよく似合う。
・奈良井→謎の女
・政岡→J-POPソングについてよく解説する。
・アンナ→歌姫
・雅紀→早苗の夫、どうでも良くなりがち。
・早苗→雅紀の妻、プチプチをつぶすのが好き。
・ターくん→保育園児、罪について考える。
 
などなど、↑良かったら使ってやってください。
以上です、分からないこと、こうした方がいい、などありましたら言ってもらえれば。
その都度ルールが追加されるかもしれません、とりあえずやってみましょう!
 
 
 
 
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以上が当日配布した資料です。新頭町戯曲集のことは置いといて、これらの内容に即したり即さなかったりしながらあーだこーだ喋って、みんなそれぞれにとっての演劇とは何かを一人一人聞いていきました。
 

 
松丸
友達欲しいってのはある。
 
稲垣
あー、そう言うのもありますよね、演劇って作品の外側というか、演劇の機能的なものとして。
 
南出
良い演劇だなあと思うのは、フィクションと現実が反転する感覚がある。
今までで一番良かったのは維新派の野外劇。あと文楽
日常のなまりきった感性が洗い流される。
 
高橋
儀礼的なものには共感する。
自分は、ゲームを作ってきたから、ゲームについても考えるけど、ゲームって祝祭をコンテンツ化している。
日常の中での呪いを解くみたいな側面が演劇にあると思う。
 
神田
最近テレビってすごいなって思ってて、メチャクチャなこと起きないじゃないですか?
だけどどっかでメチャクチャなこと起きるんじゃないかって期待してる。
ゆうめいの「養生」面白かった。アンタッチャブルなことを求めている。
 
秋場
演劇見る時はやっぱり俳優を見てるなあ。
俳優の突き動かし方を見てる。
不条理劇とかも、自分を見てるみたいな気になるよね。
 
稲垣
そういう意味では、南出くんのフィクションと現実が反転するじゃないけど、不条理であっても、現実ってのが垣間見えてくるってのは面白いよね。
 
秋場
気遣いの幽霊の冒頭のセリフ好きなんだよなあ。「どこ向かってるの?」って。
今、自分どこ向かってるのかなあって気になるよね。
 
稲垣
ああー、めっちゃ太田省吾の「ヤジルシ」ですね。
いや、意識してたわけじゃないけど、ただ流れで書いただけだけど。
 
宮尾
演劇を始めようってなったばっかの時、勧められてチェルフィッチュの「三月の五日間」映像で見て、これいつ始まるんだろうって思ってたら終わって、え、なにこれ、今の演劇てこんなんなの?って、やだなあって思ったけど、演劇やればやるほど、面白さがわかってきて、すごいって。
あと、フィクションが立ち上がる瞬間。
 
稲垣
井上ひさしとか、冒頭こじんまりと、始まって、あの頃はああでしたね、って過去に飛んだ途端、舞台が華やかにパーって広がっていくみたいなああいう時間もなんだかんだで楽しいよね、蜷川とかにもあると思うんだけど。
 
宮尾
だけど、やってんな、が嫌な時もある。
飴屋法水さんの舞台見た時にメチャクチャ面白かったのは、テキスト台本があるはずなのに、どう考えてもこの場で起こっているようにしか見えなくて、凄かった。
 
稲垣
カハタレの現在地vol.1の時、パンフレットにも書いたけど、その場に立ち会えるってすごいことよね。実はみんな「今」を生きていなくて、未来のこととか、過去のこととか、ずっと今にいなくて、演劇とか舞台芸術って、本当の「今」に辿りつけるんじゃないかって、あの時思ったんですよね。
 
宮尾
これみんなに聞いてみたいんだけど、おっきい劇場で、俳優がちっさくしか見えないみたいな劇と小劇場の客席メチャクチャ近い演劇とあるけど、みんなどっち好きとかある?
俺、おっきい劇場、遠い出来事に感じてしまうんだけど。
 
秋場
小劇場は逃げられない感覚があるよね。
 
南出
僕はでかいところで見たものの方が圧倒的に印象に残ってるし、一番を上げろってなって上がってくるのは大きい劇場で見た演劇だなあ。
 
稲垣
金かかっててめっちゃ普通に興奮するってのもあるよね。
オペラとか初めて見に行った時、舞台に水敷き詰められてて、それが動いたりして、すげーって。
小劇場は普通にお金かけられないからなあ。
 
宮尾
あ、でも歌舞伎は好きだなあ。
 
稲垣
柿内正午さんと奥さんが2.5次元演劇好きで、いつもめっちゃ喋ってるんだけど、こないだ、2.5次元はスタッフワークとかが絶妙なタイミングで全て成り立ってるって話をしていて、俳優もその一部にすぎなくて全体の凄さで成り立ってるみたいなこと言ってて、天野天街の劇の話に絡めてしていたんだけど、
 
丹澤
こないだ2.5次元演劇のナルト見に行ったんだけど、ショーだなって。影分身したりして。
でもやっぱりすごいのは一体感があるなって思って。
 
稲垣
あー、一体感ね、一体感ってなんなんだろうね、あるよね。
 
秋場
お金かかってたらやる側もやんなきゃってなるよね。
 
木嶋
歌舞伎は絶対前列で観る。
二階は席はちょっと。
 
宮尾
金なきゃ良いけどねえ。高いからなあ。
あと、スターってのもあるよね、歌舞伎とか特に。
 
稲垣
ああ、良いですね。スターのいる演劇観たいな。
スターはいいっすよ、
 
高橋
全然思ってないでしょ。
 
稲垣
ああー、ま、でもありっちゃありですよね。
 
南出
あと、演劇の新しい様式だったりに立ち合いたいって欲はある。
 
稲垣
あー、そうですよねえ。できたらそういうことしたいけど、そうそう、今、作品だけじゃないから。作り方とか、集まり方から新しさも追求できるから、もちろん作品の面白さがあってのことだから。いや、だからこれ、新頭町戯曲集上手く行ったら面白いと思うんだけどなあ。最終的には戯曲のSNSつくりたいね。いや、すごくない?戯曲のSNSできたらすごいよね。
 
 
  と、結局、演劇とは何かについて話しているのかいないのかわからないまま休憩して、
 
 
南出
え、これから何やんの?
 
稲垣
なんか今日ここに出たワードで作品作りってみましょうか?
 
南出
ええー、無茶振り。
 
稲垣
2グループに分かれて発表し合いましょう。僕は相談役でいますので、困ったら声かけてください。
あと配布資料にどういうふうに時間作るかとか箇条書きにしてますのでよかったら参考にしてください。あと夏井いつきの俳句の作り方で、このキーワード、この季語、使いたいって時に、そこから連想するワードのさらにそこから連想するワードを使えばうまくいくって言ってたので、そういうことしてみてはどうでしょうか?とりあえず、共同創作難しいけど楽しみながらどうぞ。
 
 
  と、無茶振りからの創作タイムが始まる。
 
 
丹澤
久しぶりだな、こういうの。
 
稲垣
はーい、時間です。
じゃあ発表していきましょうか。
 
 
●一組目(秋場、神田、木嶋、宮尾)の発表。
・アキバッチョのワークショップでやってた椅子のワークをやりながら、落語っぽいセリフ(おう、やってる?とか、今何時だい?、とか)をそれぞれが一セリフづつ持ち台詞として与えられてて、歩く、座るなどの動きの中で即興的に発話が紡がれていく。
・一言で、フィクションが立ち上がってく面白さがある。落語ってすごい。
・木嶋さんの面白さが炸裂してる、
・音楽的な連鎖が心地良い、
・今何時だい?、がいろんな時間の中でのセリフに聞こえて面白い。切羽詰まってたり、家でダラダラしてたりの中での言葉など。
・おう、って言葉、ドスが聞いてる。ヤクザっぽくて良い。
 
 
稲垣
はーい、お疲れ様でした。
二組目いきましょうか。
 
 
●二組目(高橋、丹澤、松丸、南出)の発表。
・高橋さんが進行役となり、なんらかのセミナーで自分の話を打ち明け合う会のエチュード
・みんな昔話の中に毒ってキーワード持ち込んでくる。(もらったりんごが毒入ってたんじゃないか、落ちて来たおにぎり、もらった団子に毒入ってたんじゃないか、お土産でもらった箱から毒の霧が出て来た)
・高橋さんの司会うまい。
・南出くんのヘンテコな返しをする立ち位置面白い。
・今日は誰の呪いを解きましょうか?ってなってからもたつく。
・最終的に、南出くんの病(どんどん若返ってく)を強制的に赤ちゃんにまでなってもらい、終わり。
 
稲垣
エチュードから始まって、どうやって終わらせようとしてたの?
 
高橋
それぞれの話は即興で、出て来たものの中から、どれか一つ選んで呪いを解くってことしようと思って。
 
稲垣
話してる内容だけじゃなくて、この劇の中で進行する具体的驚きがあってもよかったかもしれない。ま、無茶ぶりの中難しいとは思うけど、何か作るって時に内容に加えて他に何路線か引いておくってことすると終着点にいきやすかったりしますね。
 
 
  時間なくなって終わり。
 
 
稲垣
無茶振りすみませんでしたー。
だけど三十分でなんらかの形になるってことはできたと思うので、戯曲も何時間で書くって決めて、新頭町戯曲集にアップしていってもらえたら嬉しいです。
最初の一歩は難しいかもだけど、それさえクリアできたらボンボン書いていきましょう。
 
ご飯行く人は行って、帰る人は帰りましょうー。
 
 
終わり。
 
追記
串カツ田中で、ジャスミンのお酒をジャスミン茶でわるJJって謎のお酒を高橋さんが飲んでいた。
 

4/28旦妃奈乃WSとカハタレ稽古会のお知らせ

旦妃奈乃WSと4月カハタレ稽古会のお知らせ
 
4/28(日)、遊星Dで演出したりPARAのスタッフしたりSNS上で謎の活動を告知してきたり、色々と面白い人、「四日目四回目」主宰の旦妃奈乃さんの演出ワークショップを開催します。
その後のカハタレ定例稽古会では自分の喋り方を研究します。
参加募集人数多めなのでどしどしご参加くださいませ。どちらか一方でもどちらも来てもらっても大丈夫です。
以下詳細です。
 
 
✿ ワークショップタイトル ✿ 
 
「空」の景色は何通り?
旦妃奈乃と空間の可能性を広げてみる、演出ワークショップ!
 
 
✿ 挨拶と内容 ✿
 
こんにちは こんばんは
  旦    妃奈乃
 だ ん  ひ な の   です。
 
演劇における「演出」について考えるワークショップを開きます。
 
私が「演出」という領域で行っていることの核は、「空間における可能性を広げて、判断をする」ということです。
 
今回は、このうちの「空間における可能性を広げる」ことにみんなで挑戦しようと思います。
 
1種類の戯曲(抜粋)から、シーンを何通りも立ち上げます!
色々なところと色々なものを繋げたり膨らませたりして、ひたすら、いろんなパターンを作ります。
とにかく広げるだけなので、きっととても楽しいです。
実際はそこから削り洗練させていく判断が大変なのですが・・・。
 
広げ方には、技術的なコツもあると思うし、勢いもあると思っています。
私は「戯曲と役者と空間で火おこしする」イメージです。
色々試してみたら色々掴めると思います。
 
演出は、だれかの稽古場を見るくらいしか学ぶ機会を持ちにくいものだとも思うので、学ぶ・試す機会にも、各自の演出方法を持ち寄る機会にもなったらいいなと思います。
手持ちの演出手法のパターンが少ない・・・と悩んだことのある演出経験者(もちろん私もです)の特訓機会としてはもちろん、複数パターンのシーンがあることは同数の役・台詞への解釈があることなので、普段は試さないような演技を試したり、その幅の広げ方を検討したい俳優さんも、ぜひお越しください。
シーンを何通りも立ち上げるということは当然、戯曲に何通りもの解釈を(一旦)持つことができるか、という戯曲読解の探究でもあります。
つまり演劇における「演出」という役職からの距離がどんな方の参加も推奨します。
劇作家、俳優、ダンサー、文筆家、そして演劇というものをやったことない人も!
 
「戯曲」という無数の可能性を持った言葉群に、身体で触れて遊ぶ、楽しい機会になると思います。
 
文章には色々な種類がありますが、その中でも今回は、上演を目的として書かれた「戯曲」を用います。
上演のために書かれている文章の、その言の葉を空間に配置する際の眼前の可能性は無限であること、その無限に生身の有限で立ち向かうということ、それらを試しにいきましょう。
 
 
 
✿日時
 2024年4月28日(日)13時ー16時
 
✿場所
豊島区か板橋区の地域センター
詳細場所は参加者に連絡します
寝たり座ったりしやすいところ
 
✿参加者募集
定員20人
 
✿参加費
500円
 
✿プロフィール
 
旦妃奈乃
 
演出家 上演作家 「四日目四回目」主宰
1998年10月1日生まれ。今をいつかの前日であるとし、まだ見ぬ明日へもがく上演を行う。自分が考え生む虚構を未来と仮定し、現実空間に立ち上げる野外劇を探究中。PARA神保町にスタッフとして関わっている。近年の演出作品は、遊星Dオムニバス公演『低き楽園』、多摩美術大学演劇舞踊コース6期卒業制作演劇公演『エッグ(作野田秀樹)』など。自身の団体「四日目四回目」では全作品の企画・作・演出を手がけている。
 

 
 
 
 
夜からはカハタレ稽古会をします。以下詳細。
 
●4月のカハタレ稽古会
「自分や相手の喋り方を研究する」
 
✿内容
劇作や演技をする時、逃れられないのが自分の身体です。違うキャラのセリフを演じたり書いたりしていてもどうしても何十年と生きて来た身体から100%は逃れられない。それを開き直って特徴とするか、極限まで自制するか、作家性が分かれるところでもあると思うのですが、まずは、何十年生きてきた身体はどういう風に喋っているのかとりあえず観察しましょう。スマホかカメラあれば持ってきてもらえたらと思います。自分の身体に寝転がってるささくれを武器に、あるいは化学変化させて、演技、戯曲の身体をつくれたらつくりたいです。
 
✿日時
 2024年4月28日(日)17時から20時
 
✿場所
豊島区か板橋区の地域センター
詳細場所は参加者に連絡します
 
✿参加者募集
定員20人
 
✿参加費
なし。ただのカハタレの定例稽古会ですが、興味ある方いましたら是非です。
 
 
 
 
※ワークショップや稽古会に参加したいって方は?
カハタレのメールアドレス
 
もしくはカハタレTwitterのDM
 
まで、お名前と参加希望の会を書いて送ってくださいませ。場所の詳細など含めて返信します。
俳優、劇作、演出、演劇に興味ある方、演劇興味ないけどただ気になってるって方、是非是非です。本当に来て欲しいです。
 
 
よろしくお願いしますー。
 

20240331秋場清之WS「舞台で遊ぼ」

20240331、秋場清之WS「舞台で遊ぼ」
参加者、池田、稲垣、神田、椙田、高橋、丹澤、松丸、南出、宮尾、まりさん
 
  稲垣、半袖で駆け込んでくる。
 
稲垣
あっちー、夏じゃん!
え、めっちゃ人いる!ソワソワしますね!
 
アキバ
よろしくお願いしますー。
揃ってきたんでそろそろ始めましょうか。じゃちょっといったん仕切ってもらって、
 
稲垣
はいー、こんにちは、今日は秋場氏のワークショップになります。じゃまず自己紹介から、カハタレのリーダーしてます、稲垣です。好きな食べものはトンカツです、でも油物控えた方がいいから食べないようにしてます。
 
アキバ
腹八分目が大事だよね。
 
稲垣
腹八分目大事、星新一の小説に古代文明の長寿の秘訣が書いてる古代文字を研究者が解き明かすって小説があるんだけど、頑張って苦労して古代文字解読したら、腹八分目って意味でしたーって、星新一が言ってるから間違いないね、ってそんな話は置いておきつつ、自己紹介から、どうぞ!
 
アキバ
ええ〜はい、まず自己紹介から、アキバです、アキバっちょと呼んでください。
今日はみんなに聞きたいことがありましてえ、
みんな何に影響受けてどこで演劇勉強してきたのかなって、リスペクトしてる人とかいたら教えてください。
僕が影響受けた人は、昔、別役実の受付をやる会があって、情熱のフラミンゴの島村とめちゃくちゃ研究したんですよね、
それが今の演技体に影響してる。
本当は受付扱いたかったけど、時間がないので、
虚空に遊ぶ妖精、別役の言葉で、いい俳優は虚空に遊ぶ妖精って言ってる、これってなんなんだろうと思ってる。これ、今日のキーワードなんですが、

 
もう一人影響受けた人、青年団で大活躍してる兵藤公美さん。呼吸がすごい。
兵藤さんと同じ演劇出て、ものすごい呼吸の使い方してる、こんな極端に息吸っていいんだ、ここで止めていいんだ、って影響受けた。みんな誰に影響受けてるのかなって、え、誰に影響受けてますか?
 
稲垣
ぼくーは、そうだなあ、劇作では太田省吾なんだけど、俳優としては、三月の五日間の山縣さんの演技は、一時期めっちゃビデオ見て、完コピくらいのことしましたね。発話とか身体の部位の動きとか、稽古場で繰り返し見ながら。
 
アキバ
俺も阿部サダヲの泣くもんかのワンシーンを完コピした。
ある一部屋の中でめちゃくちゃ動き回ってて、完コピはやっぱりいいね。
 
稲垣
なんか、それこそ呼吸だとか、語尾の使い方だとか、ただ見てるだけではわからないことにすごい意識が行きますよね。
 
まり
鈴林まりです。
最も影響受けてるのは日本舞踊の師匠、安部工房スタジオで主演女優をしてた人で、日舞の指導も演技指導みたいなとこがあって。日舞の稽古は基本完コピなんだけど、役によって呼吸が違う、武士とか、女の人も年齢や階級とかで全然違ったり。
本当に真似しないといけない世界、自分との境がわからなくなるくらい。
現代演劇はあくまで、自分の表現の“参考”って発想ですよね。
喜劇的な演技のお手本として、中村勘三郎藤山寛美を参考にしたり、山城少掾義太夫節を真似してみたり。
SPACでやってる演劇で、動く人と喋る人を分けて演じる「二人一役」の時に、「語り」には通常のナチュラルな演技とは異なる強度が求められる。
あとは、アニマルエクササイズ。動物の完コピ。動物とは体の造りが違うけど、自分なりに納得のいく100%をつくって、それをパーセンテージで配分しながら使ったりしてる。
自己紹介だと、舞台の演技したり、劇評を書いたり、中高生にお芝居見てもらう時の解説パンフレットとか、ラストまでのネタバレ含んだyoutube動画作ったりしてます。
 
 
高橋
高橋晃央です。
役者じゃないです。
丹澤さん、稲垣くんと戯曲セミナーで知り合った。
元々演劇の人でなく、ゲームを作ってて。
運動不足解消のため、ヒップホップ方面にいたら役者がいて、その人の舞台見て生身の演技見て、生身すごいなと、
そういう意味で言うと、生身の役者さん全員に影響受けてる、
作家的なことで言うと稲垣くんの書いたものには影響受けてる。
10年くらい前はハイバイとか好きで見てた。
劇作やればやるほど、舞台にあげた時に役者になんとかしてもらわなければどうにもならない。
戯曲は設計図でしかないって思うようになってきて。
今、役者ってのがどういう生き物かってのに興味がある。
役者そのものの心理にすごい興味ある。
今日もそう言うとこを探れたらなあと思います。
 
アキバ
書いてあるものって構築物だからね、
構築物を構造としてどう客に見せるかってことも今日はやりたいと思います。
 
高橋
アキバさんの演技、こないだ「気遣いの幽霊」見た時、ここにいるのにいないみたいな演技がすごい面白かった。
 
アキバ
息づかせるってのができる。技じゃないけど、そういうのあるだろうなって思ってます。
 
松丸
松丸あやです。
高校演劇から入って、細々と趣味で続けていて、木嶋美香さんと一緒にずっとやってる。最近木嶋さん関わっていないものに関係していないな。
根底にあるものとして、現代アート。その感覚は腹の底にある。それを舞台での表現に昇華できたらなあと思ってる。
絵画、彫刻、インスタレーションのなどの一つとして演劇を扱えたらなあ。
高校演劇の頃に先輩がいっぱいいた桜美林大学で、500円くらいで実験的な大学生の演劇をたくさん見れたのがデカかったなと。
 
南出
南出です。
やり始めたのは、和歌山の高校の同級生の稲垣くんに誘われたからで。特に俳優の訓練していない、高校演劇、大学サークルには入ってたけど、理論とかは知らない。
見るの好きなので、結構見てた、伝統芸能も現代演劇、商業演劇、全部見てた。
ラーメンズは好きで高校の頃完コピしてた。
大人計画のふくすけも好きで、真似したりしてた。
演技上手くなるって言ってもいろんな演技があって、上手いってなんなんだろうって思ってる。
最近は朝ドラの草薙が上手い下手でなくすごい見ちゃうなって、
 
秋場
何が面白いのかって気になるよね、
 
南出
阿部サダヲチェルフィッチュなどの演技も全然違うけど、それぞれ面白い。
 
神田
神田智史です。
演劇で役者として活動してて、最近、ずっとやってた旛山月穂と団体立ち上げまして。
影響受けた人は身近な人、立本夏山さんで、
声も大きいし、体もでかいし、空間全体が夏山でいっぱいになるって人で。
あと最近は落語に興味あって、面白いなって。
粗忽長屋、道端で死んでる人をガヤガヤ囲んでて、ある人がその人知ってる、家で寝てたよって連れてきて、死んでる自分と、生きてる人自分、同じ空間にいるって不条理なものが成立してる、
よくわからないものが到来し続けてるみたいなものが夏山さんも同じ。
自分もそういうとこになりたい。
今日も皆さんのよくわからない部分に遭遇していけたらなあと思います。
 
椙田
椙田航平です。
現状はフリー、所属せずに俳優してる。
去年の六月上京してきました。
香川の大学で芝居を勉強していて、
大学では東京から呼んできた演出家の講義受けることが多く、特に影響受けたのが、木下歌舞伎の木下さん。
それも一度歌舞伎を完コピする。
完コピの型の中で内側のテンションがついてくる。
作品全体のフォーカスと役の内側からの二つの視点で見れるのが面白い。
平田オリザさん、山内健司さんなども講師で影響受けてる。
あとウォンカーウァイの映画が好き、セリフ少ない。居方、絵作りの面白さが好き。
演劇作る時、役のこういう欲が、とか話になるけど、普段俺こうしたいってのがないので、そう言う距離感とかも面白いなと。
 
宮尾
椙田さん、めっちゃウォンカーウァイの映画出てそうー。
 
椙田
うわー、めっちゃ嬉しいです。
 
丹澤
座高円寺のアカデミーで稲垣と同期で、ゆるゆる演劇したいっていうからはじめたのにガッツリ活動始まってしまって、えーって。
 
稲垣
愚痴だ!
 
丹澤
学生の時に影響受けてるのはオリザさん、青年団系列の演劇。
当時、大学生の時、男多いサークルにいて、笑いに特化してた。
後藤ひろひととか、ケラさんとか、サークルが演出が好きな作家のをやるので、いろんなエンタメ系のものをやってた。長野で青年団リンクよく見てた。
最近あんまり調子良くない。
 
池田
池田きくのです。
高校演劇から始まって、京都造形の映画学科で学んでて、今フリーだけど劇団所属してます。
石井路子さんって平田オリザさんと作品作ったり、先生だけど先生じゃないみたいな人でコミュニケーションを学ぶことが人として楽に生きれるんじゃないか、って高校とかで教えたりしてる方がいて、その人の影響受けてる。
大学では、鈴木卓爾さん、ただそこにいるだけで、ずっと見れちゃう、言葉で説明できないけど、なんかいいなって思わせる人がいて、影響ってので思い出すのは鈴木さんかなあ。
あと、兵藤さんの居方、お芝居との距離の取り方は自分の中になかったもので影響受けてる。
 
 
宮尾
宮尾まさひろです。
つい一週間前に40になった。
 
みんな
おおー、おめでとうございますー。
 
宮尾
大学では法律学んで。
そこからテレビCM作る会社に就職したけど、ずっと役者やりたいと思って、やめて、座高円寺劇場創造アカデミー入った、その時、下の期の丹澤稲垣に会った。
高校生の頃、お笑いに救われた。漫才より、コントだった、バナナマンラーメンズずっと見てた。
自分の好きな笑いが、お芝居なんじゃないかって感覚があって、バナナマンラーメンズ、長いコントとか、ただただ芝居みたいなとこがあるよなあって、三谷幸喜とか。
体の状態とセリフが合致する時に笑えたりする。そういうことを目指したいなあと、
演技の影響、軸みたいなもので言ったら、モノマネが好き、就職面接の特技欄にモノマネって書いて、面接でやってた。当時、面白いものが勝つんだろうと思ってやってたけど、全部落ちた。
今でも結構モノマネ的アプローチしてるかもと思う、ダンカンバカヤロウ。
例えば、このセリフどうしよう、なんかヒントないかなって時に、映画見たり、ドラマのこの人の声の出し方面白いな真似してみようとか何パーセントか使ってみようってのをやって上手くいくことがある、呼吸とか身体の状態ができるのかなと思いますね。
役者としては、座高円寺終わった後に、自分で主催して書いたりしてたけど、テレビCM業界の仕事しながら、カハタレに出てみたいな今です。
 
アキバ
ありがとうございましたー。
疲れましたね、重量感ある自己紹介でしたね、五分休憩しましょうか。
 
●椅子のワーク1
 
アキバ
椅子のワークやったことあります?
 
高橋
え、ないけど、、
 
稲垣
そりゃないでしょ、
 
アキバ
ま、そうですよね、対面に椅子を並べて、こっち側の椅子と向こう側の椅子ってのを数列作って、ま、それぞれの人がそれぞれの椅子に座って、立って、歩いて、向こうの椅子に置いてる紙持って、読んで、置いて、振り返って、歩いて元の椅子に戻って、元の椅子に座るってこの単純な動きを繰り返していくってだけなんだけど。
 

 
昨日ダンス公演見に行ったら、即興ダンス、ベースとタップと、ダンスと、稽古なしで即興で空間立ち上げていくのがすごい面白くて、俺これやりたい、俺ダンサーじゃんって思った。
空間を突き動かしていくリズムとかエンジンを自分でつくってかないと立ち上がらないんだなって。
すごかった。ダンサーがめちゃ空気読みながら、超空間張り詰めてて、一時間どんどん空間動かしてて、誰かが動かしたら誰かが閉じたり、
さっきみんな言ってた、落語の人の、え、とかのノッキングとか、とにかく張り詰めてて集中してる、張り詰めてて的確なところで、捻り、みたいな、俺が意識してるのが、ああいう言葉なんだけど、的確さってなんなんだろうなって。
椅子のワークは、通るところ、やることは決まってる。
立って歩いて、紙見て、読んで置いて、戻って、座る。
昨日のダンス公演は音楽とか影響するものがあって、だけど今回は、自分で突き動かすが醍醐味なので無音でやりましょうか。
 
・第一組、池田、神田、宮尾、椙田、松丸
 

 
 
アキバ
呼吸を深くすること意識して、肩周り硬いなあとか、外暑いなあとかいろんなこと考えながらやってもらえれば。
まずはナチュラルにまずはリラックスしてやってください。
 
  終わる。
 
アキバ
はいありがとうございます、いやー、最高でしたね、めちゃくちゃいい集中空間、そぎおとされてる。見てる人たちどうでした?
 
南出
集中感があった。
全体がゆっくりになったりはやくなったり、どこまで意識してたか分からないけど、大きな全体のテンポがあった。
 
高橋
見てる側も不思議な緊張感あった。
合わせてるつもりでないのに、不思議と出来上がってるのがあった。言語化していないけど、波が乗っかってる感じ。
 
まり
身体って綺麗だって思って、なんでこの美しさに普段気づかないんだろうって思った。
 
アキバ
自己紹介みたいな感じにもなるよね。
 
丹澤
たまたまみんな誰も動いてない、すごい綺麗な時があった。
 
稲垣
シンプルな動きの中で選択肢が色々あるなって、紙をどう見るかとか、角度とか。
あと、みんないろんな服来てるなって思った。
 
アキバ
やってみた人たちどうでした?
 
池田
肩周り重いなあって体の中に集中してて、気づいたら他人に影響されてる、合わせようとしてるわけでなく、どこかで影響してる。
私はせっかちだなあと。ゆっくりな時間が流れてることが多くて、その時に掻き乱したくなる本能がある。そこの緊張感があった、そういうのが自分らしいなあと思った。
 
神田
止まるのが難しいなって、止まれてないなってことに気づいたり、他の人がやってるのに合わせるか合わせないのかがなんとなく居合い抜きみたいな感覚で、緊張感があった、自分は引っ込み思案だなあて思った。同じことしてるのに遅れてる感覚、自分の中を見るていう面白いワークだった。
 
宮尾
途中までは隣の人くらいの範囲の視野でやってたけど、だんだん、5人でやってる絵の中に入った感覚があって、その時は例えば、神田くんがこういう動作してるのを俯瞰的に見えてる。今神田くんがしてるから今見る時間だろうなってそういう思考が働いてて、みんな感じてるんだろうなって思ったりしてた、
 
椙田
合う時にも気持ちいい時と気持ち悪い時があって。
決まった動きをする時の間の休符が関係してると思った。
直前の居心地によって、合うの感覚が違う。
 
松丸
だんだんと自分だったのがどんどん影響されて、部屋の四隅まで見える感覚がした。
動いてる時に、紐で引っ張られる感覚が最後あったな。すごく楽しかったです
 
アキバ
すごい、皆さんすごいですね。
 
 
・二組目、南出、高橋、まり、丹澤、稲垣
 
アキバ
なぜかガッキーが一人になる、って状況が何回かあって面白いなって、
どうすんのどうすんのってなって、結局トボトボ歩くみたいな、状況が生まれてた、状況面白い。
それぞれの歩き方、こういう人なのかなってのが出てて面白かったです。
 
椙田
最初同じような動きをしてるだけなんだけど、
近しい動きを繰り返しながらちょっとづつ変化する空間になっていくのがすごい面白かった。
 
神田
一人一人の身体面白い。
状況というか段階に分かれてる気がして、やってる時に、なんでこれやってるんだろうと、ふと思う時とか、合って落ちる時とか、それぞれの持ってるものが見えたなあって。
どうでもいいけど、みんなでつくるセーフコミュニティって廊下のキャッチコピーがドア空いてるからずっと見えてて、タイトルみたいだった。
 
みんな
ほんとだ!タイトルじゃん!
 
松丸
やってる時は構成物の意識があった、点とか、線とか、
見てると人間、揺らぎを感じた、バックグラウンドまで想像しちゃう面白さがあった、
 
池田
同じ時間でそれぞれな場でそれぞれの時間を繰り返してる、
違う場にいるのに、不意に意思疎通するみたいな。
わかりやすくみんなが見てて、稲垣さんだけ見られてるみたいな構造とか。
 
宮尾
それぞれの体のあり方、動作に個性がある、が故に見てる側にどうしても意味を与えてしまう、
女性二人が逆側にいて、高橋さんが追いかけるみたいな時があって、すごく家族に見えた。
誰か一人いて振り返った瞬間に、捌かれてる感覚を持ったり。
個性、違いがあるから面白いんだなあって、思った。
ロボットがしてもこういうふうに感じないんだろうなて思った。
 
アキバ
やってみて南出くんどうでした。
 
南出
音を聞こうと思って、集中のため、自分のスニーカーキュッキュッなるなとか、まりさんすごい静かだなとか、外の車の音とか、やってるうちに、全体が見えてくる意識があって、高橋さん怖い顔して歩いてるなって。自分と俯瞰した意識とが行き来する感じがした。
 
高橋
やってみると、自分がタイミングを握る、その動機が根拠のない根拠を探してしまう。適切であるのか、しっくりくるのか、さっきと被ってねえかとか、ここで動いたら邪魔するとか、どこにも根拠ないんだけど、自分なりの生理的根拠を探していくってのは面白かった、これだけでコミュニケーションできるんだって。
 
まり
歩き始めるのがすごく難しくて、なかなか立ち上がれなかった。
みんな一回行ってから戻ってきて、また戻ってきて、うーん、流石に行かないとなって思いつつ、でも今じゃないよなって、絶対今じゃないって、ずっと歩き出せなかったけど、三週目くらいの丹澤さんに乗っかれて歩き出せた。
 
アキバ
身体重いなあとか、正直だったんでしょうね、身体に。
 
まり
一回、稲垣くんに対して笑った後、また行けなくなっちゃった、素に戻っちゃったからかな。
四人で完成してるって思っちゃうのかな、真ん中だったのもあるのかな。
 
丹澤
ずっと歩けてる感覚しなくて、ずっと慣らし運転してて、外に意識行くまですごい時間かかった。
意識しなきゃみたいなまでおもってないけど。なんかことが起こっている感覚はあって、楽しかった。
 
稲垣
僕も歩けてないなあって同じような感覚だったけど、合わせるのと自然と合うは違うなって感覚があって、後、まりさんがじっとしてるみたいなの強いなって思って、真似したりしてみた。
振り返ったらみんな座ってるのが何回もあって、なんでみんなあんなに座ってるの!ってなった。
 
 
アキバ
セリフと合わせてやってみたりも使えるし、みんなで本番前にやったりしてグループが仕上がっていくってことにも活用できるワークですね、ちょっと休憩して二回目行きます、
 
 
  ●休憩
 
 
アキバ
みんなすごいね、ちょっと言ったらぱっとできちゃうから、俳優だね!
俺なんかただのタドタドガイドだよ!
 
  と、男梅のグミを食べまくる、
 
稲垣
ファ、ファシリテーター感がない!いい意味で、
 
アキバ
じゃ、二周目行きましょうか、(男梅食べ続ける。)
二周目はやり始めて指示するんで、途中から、自分のリズム、スピードに緩急をつけてみましょう。さらに進んだら、止まって体を捻る、右か左か向いてみるってのをやってみましょうか、さっきとペア変えて、
 
稲垣
チグーエッションンピ、ね、
 
丹澤
だからなんなんだその和歌山ルール。
 
南出
同じ和歌山だけどそのグループ分けの仕方知らんのよ。
 
 
・一組目、丹澤、稲垣、高橋、松丸、椙田
 

 
アキバ
顔が合った時の張り詰める瞬間、それで居た堪れなくなって歩くみたいな、流動体が繰り返されてるのが面白かった。
ガッキーの低めの振り向き良かった。
 
神田
緩急つけるって言われる前からやり合ってて、ピリピリしてて面白かった。
緩急、捻り出してからは、出来事が明確に分かれてる。
合わせようとしてる感あった、合わせようとしてないのに合うってのもあった。
仕掛けてるけど、気づいてないみたいなのがめっちゃ面白かった。
 
アキバ
ドラマチックだった。
 
池田
緩急つけた途端に動物っぽくなる。
早いと小動物、遅いとカメレオン、予想できなくて、動物見てる感覚だった。
ひねりが入ると関係性が入る分、立体的になった。
誰へのアプローチかはっきりしてて、
稲垣さんにずっとみられて、椙田さんがみたくないみたくないってなってるの面白かった、
 
宮尾
的確さってなんなんだろうなって思った。さっきより複雑になってる分難しそうだなって。
 
アキバ
でも的確さに呪われたくない。
 
宮尾
根拠はもっとグルーヴみたいなものなのかな、頭で考えるのも違うのかなって。
 
アキバ
やるほど良くなってくのかどうなんだろうって思った。
その点で思うのは遊ぶ精神、チャレンジしてるのが面白いのかなって。
 
まり
緩急つけ出した時に、生活の中のルーティンって話出てたけど、緩急つけた瞬間に生き死にの問題って感じが出た。家族の命が助かるかどうか確かめに行く、みたいな緊張感があるんだけど、急いでてもゆっくりでもそう見えてくるんだなって。
捻りで予想のつかないトーンになってて面白かった。
 
南出
視線って影響力あるなって、仕掛けてる人がいた、ってのもあるけど、
それだけでなんで面白いんだって。
だるまさんが転んだ、に近い、あれってパッて見られた瞬間の緊張感の遊びだなって思って。
 
アキバ
やってたみなさんどうでした?
 
丹澤
仕掛けてる人がいて、何かが起きてる時に参入していくのが難しい。
つられちゃうのも違うし、邪魔したくもないし。
 
稲垣
わかる、消えたくなる瞬間あるよね、
あと、捻りすぎて内腿吊りかけた。
視線のレーザービームってのが距離の遠さで見え方変わると思った。
 
高橋
目が合ってる最中の相手方の心理がわからない。
その場での感じ方と内面で蠢いてることのギャップがあるなって。
だけど今の稲垣くんの話聞いて、メンタル強い感じで推してきたわけでもないんだってのが面白かった。ただ足攣りそうって思ってるだけみたいな、
 
松丸
まだ行けないなって、振り向いて、目が合ってる人たちがいた時に、薄い濃度で通り過ぎるしかできないって気分になった。
緩急つけ始めた時に、まだ染み込めない感覚があって、空間をもっと長く歩いて感じたかったなあって、空間をつかめそうでつかめなかった感があった。
 
椙田
緩急が生まれてからの方が、さっきの1回目より他の人に影響受けるなあとか、こーの人に気づかれたくないなあって、
 
  みんな笑う。
 
椙田
一回視界に入ったら焼きついちゃって、ずっと食らう、さっき目に入ったもの思い出したり、
元々ベースがゆっくりなのでいかに早くするかで考えてたけど、逆に早めに設定していかに遅く動いてみるかみたいなのもありなのかなって。
 
 
アキバ
呼吸をフィーチャーしてみるとどんな感じで遊べるのかなって思ってて、次やる組はどこかしらにその意識あってもいいかなあって、
 
 
・二組目、まりさん、宮尾、南出、池田、神田
途中から向き合いの連鎖で、めっちゃ笑い起こる。

 
アキバ
なんですかね、笑っちゃった後の空気感ってあるよね、
面白いなって思ったのは、捻って、目あった時に緊張感か何かわからないけど呼吸が止まってる気がして。呼吸止まってるってことは、詰まってる何かがあんだろうなって。
 
椙田
最初の緩急だけの時は見てるだけなのに、舞台の空気と一緒に息が止まったりしてた、
捻りが入ってからは格闘技のリングのコーナーみたいな、座って一息つけるみたいなとこから、リング上がって捻り合い、殴り合いみたいな、繰り返しだけでなく動きに角ができてるなって。
 
松丸
始まった直後は、空間を見る感じがあって、その時は空間が広がった。
途中から人を見るってなって空間ってより関係性の面白さだった。
 
丹澤
もはや振り向くじゃなくて誰かを見るになってたけど、やっぱりやり出してからみんなイキイキしてて、役者だなって。
 
高橋
捻り入るまでは、この一連の動きのピークが紙を読んでるだったけど、捻り始めてから山が動いた感じがあった。
 
稲垣
マッチの微炭酸、恋は方程式だ、みたいな四角関係で見つめあってる関係性面白かった、あと南出くんをみんなずっと見てくみたいなのも、一番普通に歩いてるだけなのにめっちゃ見るみたいな構造が面白かった。みんな人と人でで見合ってるのに、神田くんだけ、なぜか客席向いてるのが一番面白かった、そこからはずれた感じがあった。
 
アキバ
やってる人たちどうでした?
 
まりさん
やる位置で体感違う。
真ん中は全体の圧感じてたけど、端っこは自由だなって思った。関係ないと思って色々できるなって。
 
宮尾
うーん。周りが見えてなかった。
 
  みんな爆笑。
 
宮尾
物理的にめっちゃ見ちゃって、空間としてみたいな余裕がなかった。とにかく笑わないようにするにはどうしようみたいな、雑念だらけ。
 
アキア
難しいですよね、
 
南出
さっきまりさんが言ってた真ん中に圧があるのはすごいわかる、
途中から飲み込まれてよくわかんない感じだった。
呼吸を意識するって呼吸することだと思ってたけど、止めるってのもあるなって、
捻りが入ってからは競技変わっちゃったなって感じがした、
 
池田
怖いなって思って、あ、いまここがいい感じだから出ない方がいいかなとか、さっきより頭が回転した。さっきのはシンプルだけど、捻るが入ると大きく影響させるから、この影響は強すぎるって判断しちゃって動けないみたいなことが多々あって、消極的にいてしまった部分が自分の中にあった。
 
アキバ
自分のリズムを作る集中力が一番重要。
 
池田
笑いってわかりやすいから、今面白いんだって、客に媚びるみたいな心境で呼吸が乱されて、心拍数高くて、
 
神田
全然集中できない。
宮尾さんの視線をすごい感じる。
 
宮尾
捻るイコール見るになってたけど、捻るっていっても、体を捻るだけとも捉えられるんだなって。
 
神田
止まって見るってルールがいいなって、止まったら振り向くんだなって、どう振り向くか、そこで振り向くしかないって状況があるとやってて面白いし、見てても面白いんだなって、
 
アキバ
情熱の島村が人形劇場で働いてて、その流れでワークショップ受けたりして人形劇にも影響受けていて、
座って立って、捻って、止まってる喋るっていう、人形的な動きが面白いなって思ってて、一つ一つの動作をして喋るってことは、ノイズがないっていうか、それが空間をパキッと動かしてるんじゃないかなって。
 
稲垣
すみません、この辺で、三時間なんだけど、もうちょっとやってもいいかなって思うんだけど、予定時間大幅おーしちゃうんだけど、時間ない〜って方いましたら、このタイミングで抜けてもらえれば。
 
池田
すみません、近々予定あって抜けます、舞台あるんで来てくださいー。
 
稲垣
おっけいです、宣伝しとく!
以下、劇団しようよ「人形のいいえ」です、めっちゃいいタイトル!
池田きくのさん出てます!みんな是非!
 
  休憩後、
  
●テキストを読む、気遣いの幽霊のワンシーン。

 
 
アキバ
木田くんって幽霊なんだけど、佐伯くんと出会って、服を奪おうとするみたいな最初のシーンの長台詞を一人づつやってみようって、ことなんだけど。
そん際に佐伯くんに対して言ってることと、自分に言ってることと、橋とか、空間に向けて言ってることがあって、その言葉がどこに向けているのか対象をはっきりして欲しいなって、ちょっと時間とるので、それぞれが自分なりにセリフを対象分けしましょうか、それで一人づつシーンをやってみる。
 
  みんな、ばらけて、セリフと格闘する間、アキバ氏が場を繋ぎなら、なんかアドバイスしてくれている。
 
アキバ
気遣いの幽霊、みんな観てるんですっけ?
 
高橋
観ましたよ。
 
椙田
僕は、観てないですね。
 
アキバ
おおー、
 
椙田
こえー。
 
南出
逆に、逆に新鮮にできるって!アキバっちょのイメージから解き放たれてるから。
 
アキバ
じゃあ、やりましょうか?
 
稲垣
順番は?
 
アキバ
名前の順で、相手役の佐伯くんも交代でやってきましょう。
 
稲垣
僕と神田くんからですやん。
 
  と、稲垣と神田が出る。
 
アキバ
じゃ、やりましょうか、
 
稲垣
え、僕が木田くん?
 
神田
あ、僕が木田くんかと、
 
稲垣
あ、じゃあ、佐伯くん、
 
アキバ
あ、え、あ、名前の順的にはガッキーが木田くん?
 
稲垣
あ、でもなんか、木田くんやる気なのかと。
 
神田
あ、じゃ、木田くん?
 
稲垣
あ、じゃあ佐伯くんね、
 
アキバ
じゃ、やりますか、
 
神田
あ、僕が木田くんですよね?
 
稲垣
僕が佐伯くん佐伯くん、
 
アキバ
なんかわかんなくなっちゃうね、
 
稲垣
うん、じゃあやりまーす。
 
  と、一悶着あり、一人づつきだくんを演じていく。
 
・神田くんの木田くん
恥ずかしーがよかった。植物みたいで。
 
・稲垣の木田くん
橋が良かった、高さが出てて。
 
・椙田さんの木田くん、
全然いいです、のとこ好きでした。
急に声おっきくなったりが怖くて良かった。
 
・高橋さんの木田くん
全然違う質感の幽霊で面白かった。
どこでアクセル踏んでいいかわからない。
→戯曲面白いからね!
 
・丹澤さんの木田くん
急に素に戻るの面白かった。
空間をちょこちょこと掻き回す。
 
・松丸さんの幽霊
あのう、の迫力が良かった。
 
・まりさんの木田くん
橋で崩れ落ちた時の状況が面白かった。
捲し立てる系で面白かった。
 
南出くんの木田くん
静かめのトーン。
目がキラキラしてて面白い。
下からの捻りやばかった。
 
宮尾さんの木田くん
恥ずかしいが面白い。
あのーそのーの矢印の乱反射面白い。
対象ガンガン決まってましたね。
 
 
アキバ
対象が変わる時とかとか、下からの捻りとか見てて面白かったな。
みんなすごいなって、俳優なんだなって。
ええーー、こんな感じなんだけど、どうでしょう?
 
丹澤
感想とか、聞いたら、みんなに、
 
アキバ
あ、そうっすね、
 
アキバ
椅子のワークからのセリフ喋るって流れ、繋がりました?
 
南出
やる前は繋げようとしてたけど、セリフが長いし、誰に言うかとか決めてたけど、やるとわけわからなくなった。だけどアキバっちょの演じる木田くん見てたから、そういう意識で演じてたんだって思って面白かった。人形っぽいってのは新しい発見で楽しかった。
 
まりさん
うーん、謎が深まった、対象を分ける、ってのが木田くんをやるにあたりアキバっちょがやってたってのは理解したけど、それでさらに謎が深まった、そのベースの上の、そっからの深め方なのか、
 
アキバ
呼吸とかって問題もあるかもしれない、息止めて、、、、、ハウーってすうみたいな、
あと、音とかも今日できなかったけど、そういうとこもあるのかもなって、
 
松丸
まだ全然まとまっていないけど、椅子からの糸口を掴んだ感じがした。
 
アキバ
そうですよね、いきなりセリフ言うって混乱しますよね。
 
松丸
でも楽しかった、帰ってもうちょっと咀嚼して味わえたらと思う。
 
丹澤
このアプローチは幽霊をやるにあたって、この作り方なのか、普段からするのかなって。
 
アキバ
俺はなんか抽象的な役をやることが多くて、別役の戯曲とかも名前がない男だし、
ま、でもこれができれば具体的にもできる。まずは空間を息づかせよう、どうやって構造を見せていかせようかってことかなあと。
だから椅子のワークとかは構造を作って行きやすい。
 
椙田
息浅かったなってやった後に思った。
この椅子と喋るワークを繰り返してやりたいなって、
多分普段する演技でも意識の切り替えってのはしてるけど、内側からやることが多くて、外からやることで内側にもここまで影響するんだなって発見が面白かった。
 
高橋
やり方はわかったけど、これ簡単にはできない。
ギアを一気に変える演技ってミステリだったけど、ぶつ切りになってるわけでなく、音楽的に切り替えがはっきりあるという糸口があって、だけどそんな簡単にはできないなって、
セリフ読むと普通に文脈繋げちゃうけど、そうじゃないんだよね?
 
アキバ
俺とか内容で見てない、音で、曲のように捉えて楽しんでいるところがある。
音楽的なとこがあるんだろうな。
 
稲垣
捻りが入ることで、時を止められる。ぱって止まって、「恥ずかしい」ってセリフ言うとめちゃくちゃこのセリフが際立つみたいな、
あとナチュラルな芝居との兼ね合いも気になった。空間をぶったぎる人形的演技と雑味ある芝居のハイブリッドしてくのも楽しめそうだなって。
 
アキバ
まあ、その人のその人なりのことをやっていれば拍手かなって思ってます。
 
宮尾
このやり方は今後の演技を構築してく上で、大きなヒントになったなって。
椅子のワークとのつながりは感じた。
捻りって意識が今まであまりなかった、それを使うことで間が変わるってのを体験できて良かった。
今対象決めてってやってたけど、実際、やる時に準備したもの以外のものが生まれる感じがあると思ってて、そことの揺らぎを楽しめたらなあと思った。
 
アキバ
どうやったらできるのかなって思って、「死守せよ、そして軽やかに手放せ」ってのはヒントなのかなと。
 
神田
楽しかったです。勇気がいることだなあって、やってみないとわからないところに飛び込んでいく。
演じるとか、人前で何かやるってことはそこが大事なんだろうなって思った。
 
アキバ
みんなすごいなって思って、なんも言ってないのにすぐ椅子のワークで影響しあってたり、さすがだなって、だけど難しいよな、椅子からセリフを読んでみようの流れって難しいいかなって。
あと、時間が限られてしまう。もっと椅子のワークだけとかにフィーチャーしても良かったのかなって。また、音とか呼吸についてとかやってみたいですね、
 
宮尾
音楽として捉えてるってのが新鮮だったので、そういうことについてもアプローチしてほしいなって。
 
南出
難しかったけどセリフもやって良かったよ。
 
丹澤
この人こういうふうにやるんだってのも面白かった。
 
アキバ
みるみられる関係がはっきりしてるワークだったよね。
 
みんな
アキバっちょ初ファシリテーターお疲れ様でしたー。
 
 
 
 
次回ワークショップは4/28(日)に旦妃奈乃さんによる演出ワークショップを予定。
また詳細決まりましたら宣伝しますー。

 

秋場清之WS &カハタレ稽古会3/31開催!

2024年3月31日(日)
俳優の秋場清之のワークショップとカハタレ稽古会を開催します。
 
2024年度のカハタレはすごいです、ワークショップと稽古会しかしません。
この一年の活動を詳細に日誌で発表しつつ、来年にされるであろう演劇公演に向けて少しづつ歩いて行けたらと思ってます。
 
ワークショップについてはこれまで開催してきたのと同じように、演技、戯曲に繋がるかもしれないワークショップを月一で開催予定です。演技、演出、戯曲に関するワークショップはもちろん、一見演劇と関係なさそうなものも根底では繋がっているし、演劇だったらどうかといった目線で今後の創作活動に繋げていけたらなあと。
逆に演劇関係以外の人たちも演劇的なアプローチをそれぞれの表現に還元したりできるような、相互に影響与える場になれば最高だよなあと、ま、理想はそんな場として機能させていきたい。
なので、気軽に、本当に気軽に参加してみたい人いたら是非です。もてなしますし、チヤホヤしますし、望むならみんなで胴上げしますので本当是非。人数上限達しない限り誰でも大丈夫ですので是非。
 
 
カハタレの稽古会に関しては、演技が戯曲になっていく過程をより実践的に体験していこうとする会になります。今後共同劇作を目論んでいる我々に重要な要素、それぞれの演技感覚の発掘と劇空間の空気感のすり合わせに関することが多くなるかと思われます。
ま、でもやるぞやるぞやるぞーって雰囲気にならず、肩の力を抜いたまま雑談とか含みつつ楽しんでいけたらいいなと思ってます。
こちらも、興味ある方いましたらいつでも本当に気軽に是非。基本教える的なものというより、実験的な比重が高いものになると思われますので、いろんな人たちの考え方、感じ方、これまで生きてきたいろんな身体がある方が良い場になるかと。
 
 
あ、あとは新しい戯曲集をブログに立ち上げようと目論んでいます。いや、新しくはないか、
タイトルまだ悩んでいるのですが、おそらく稲垣が個人でやってる「頭町戯曲集」を集団で運用する戯曲集になる予定です。詳細は、3/31の稽古会で決めて発表しますので、こちらも興味ある方いましたら本当に是非、読んで欲しいのと同じく参加して欲しいです。こっちは本当に気軽に参加できますので!
 
 
 
で、ワークショップ企画第一弾は以下です。
 
 
 
●秋場清之ワークショップ
 
【舞台で遊ぼ】
 
・内容
 
セリフ、空間を立ち上げていく際に必要な身体感覚、見応えのある面白い流動体ってなんだろなって、俳優同士で共有、発見し合える場になればと考えてます。
簡単なワークと、前回参加したカハタレの戯曲「気遣いの幽霊」の一部テキストを取り扱います。
簡単なワークなので、たまには演劇脳使っときたいなという方是非です!
 
・日時
2024年3月31日(日)
13:00集合で長くても3時間ほど
 
・場所
豊島区内の地域センター
詳細場所は参加者に連絡します
 
・参加者募集
上限10人までで募集します。
定員に達しましたらツイッター、ブログなどでお知らせします。
気軽に是非。
 
※定員に達しましたため募集を締め切ります!
 
・参加費
500円
 
ファシリテータープロフィール
 
秋場清之
 

 
俳優。東京出身。1990年生。
アートカンパニー情熱のフラミンゴ(現在活動休止中)で演劇、映像、ラップなど様々な作品制作に関わる。
虚空との交感を大切にしつつ、軽やかに舞台を遊べる身体を目指している。
 
 
 
 
そしてその日の夜からはカハタレの稽古会第一弾です。
 
 
●カハタレの稽古会3月
【それぞれにとっての演劇とは何か?】
 
・考えてること
みんな演劇に何を求めているかを共有します。最近は演劇をつくる際に、演劇ってなんなのかを実は全然共有できていないんじゃないかって思い始めてます。なんのために演劇やっているのか、何が好きで観ているのか、みんなそれぞれ違うかもしれないし似てるとこもあるかもしれない。それぞれが持つ演劇感が一致するわけないかもしれないって前提のもと、統一させる必要もないかもしれないんだけど、共有はしていて損はないんじゃないかと。というか、そこをはっきりさせる、までいかなくても良いかもしれないけど、仮にでも考えておくと指標になるんじゃないかと。指標!これ、臨床家として超重要!指標があるとうまくいってるかどうかわかりやすいよね、演劇を観る、つくる上での指標について話そうぜ、そして時間あったら、出てきた話をもとになんか作品作ろうぜっていう稽古会になる予定です。
 
・日時
2024年3月31日(日)
17:00集合で長くても3時間ほど
 
・場所
豊島区内の地域センター
詳細場所は参加者に連絡します
 
・参加者募集
上限10人までで募集します。
定員に達しましたらツイッター、ブログなどでお知らせします。
気軽に是非。
 
 
・参加費
無料
 
 
 
●ワークショップや稽古会に参加したいって方は?
カハタレのメールアドレス
 
もしくはカハタレTwitterのDM
 
まで、お名前と参加希望の会を書いて送ってくださいませ。場所の詳細など含めて返信します。もちろんワークショップと稽古会両方来るというハードコースの参加歓迎します。
俳優、劇作、演劇に興味ある方、演劇興味ないけどただ気になってるって方、なんかただただ喋りたい、人と交流したいって方、是非是非です。本当に来て欲しいです。
 
 
よろしくお願いしますー。

 

幽霊を弔わないこと、良きニヒリストになること(渋革まろん)

幽霊を弔わないこと、良きニヒリストになること
 
 犠牲にならぬものたちの声を犠牲にならぬままに拾い上げることは可能だろうか? あるいは、犠牲にならぬものたちの声はどうして犠牲にならぬものたちの声として聞かれ得ないのだろうか? 『気遣いの幽霊』というテキストから連ねられた時間のなかで、私が抱いていたのはそんな疑問だ。
 
 
佐伯 その時、カチカチカチカチ、って音が聞こえてきて、なんだろうって思ったら木田くんがあの、押しボタン、押してるんだよね
 
 
 木田くんは幽霊だ。あるいは幽霊を名乗る男だ。あるとき佐伯という男は、「お召し物をくださいませんでしょうか?」と声をかける木田くんに出会うのだが、木田くんには幽霊らしいところがなにもない。言動がやや常識外れなだけで、触れることも会話することもできる。つまり実体がある。そんな彼の「気を遣わずに喋れる友達が一人もいなかった」という言葉に心を動かされた佐伯は、彼を恋人のともみとのデートに連れて行ったり、「気を遣わない鍋パ」を提案して、ともみの友人のあやとその夫(山下)の家で無理やりチゲ鍋パーティを開いたりする。しかし、そうした佐伯の気遣いはことごとく悲惨な結果を招く。最終的に、鍋パの気まずさを打破するために外出した一行は、その途中で木田くんが時差式信号機の押しボタンを夢中で推し続けるのを目撃することになる。
 この作品にはさまざまな幽霊性が散りばめられている。幽霊は死後の怨念や心残りがある特定の場所・時間においてかたちを成して現在に生きるものたちを脅かす。つまり、存在していないが存在していないわけでもない非在の形象である。まず第一に、空回りする佐伯の気遣いは、佐伯が気遣いをしているというよりも気遣いが佐伯に行動させているという意味で、気遣いの幽霊に取り憑かれているように見えるだろう。
 また、佐伯に対するともみの愚痴をあやが聞くところから始まり、その佐伯が語る木田くんの話をともみがあやに語り、それをあやが夫の山下くんに語るというかたちで、過去を現在に包摂していくように語り手を横滑りさせながら、最終的にその全体があやの怪談話だったことになって終わるこの戯曲は、人から人に伝播しながらそのつど遡行的/パフォーマティブに”オリジナル”が作り直されていく民話的な怪奇譚、あるいは「洒落怖」のようなネットミーム的な怪談の形式を演劇的な語りの構造に落とし込んでいる。そこで非人称化される語りの主体にもある種の幽霊性が看取される。
 最後に、上演の位相においても、終始横並びで舞台に立っているにもかかわらず、語りの構造の中で時間軸上の別の時点にいることになる俳優の身体は、上演の現在を共有しながら共有していないという幽霊的な位相のズレを伴ってそこに置かれることになる。
 このように登場人物の類型、語りの構造、上演の位相のそれぞれで幽霊性が見出される。しかしそれはある意味で当然のことだ。演劇という形式は、テクストやモノや人体、諸要素を取り結ぶ関係性の力学を作動させることで、そこにないものをあたかもそこにあるかのようにみせる想像のメディアであるからだ。近代リアリズム演劇の信奉者でなければ、演劇というメディアが存在と不在のあいだに幽けきものの触媒にならざるをえないことを知っている。けれども木田くんには演劇的な幽けさがほとんどないのである。なぜ本作には幽けらぬ幽霊がそれとして登場せねばならなかったのか?
 生者を脅かすほどに強烈な念を留めることがなかったものたち、すなわち、犠牲にならぬものたちの声にかたちを与えるためではないか。犠牲者の名は追悼される資格を持つものだけに与えられる。その資格とは私たち──政治的共同体──の同胞であることだ。死者は常に善悪、そして勝敗の両面において私たちの歴史を築いた意義深いものとして思い出される。祖父母が命をつないでくれたから今の私がいる。先人の努力があったから今の豊かな生活がある(あるいはない)。戦争の犠牲者に報いるために戦後の平和を守らねばならない。けれども、時差式信号機の押しボタンを夢中で推し続けたものは、誰が記憶に留めるだろうか? あまつさえ悼まれるべき犠牲者として?
 
 
あや って、みんなあの時の木田くんを、木田くんのカチカチカチカチを忘れていて、
ともみ 夢でも見たじゃないの?
 
 
 こうして木田くんの存在はすっかり忘却されることになるわけだが、それは彼が幽霊だからではなく、個人史や家族史や日本史や世界史……どのようなスケールであろうと歴史的に意義深いものとして想起されうる幽霊の資格を持たないからだ。木田くんが幽霊らしからぬものとして舞台上に登場するのは、死者の声を呼び起こし幽(かそけ)ものの触媒となる劇形式のイデオロギーを逆に利用し、犠牲者として記憶に留めることができない実在する幽霊を明かすためなのである。
 演劇を通じた死者の追悼は幽霊の生に意味を与える。だから犠牲にならぬものとしての木田くんは幽霊らしからぬものとして登場せざるえない。非在の幽霊ではないありありとした実在として。けれども、それは木田くんが犠牲者として弔われないものであることを意味しない。むしろ木田くんは救済されるべき“被害者”として記憶されることを拒絶する。
 
 
木田くん そのお前のためにってのが無くならない限り、エッキー、わたしとあなたは対等じゃないんすよ
佐伯 は?、なんだよそれ、ふざけんなよ、お前が助けてって言っただろ、助けてあげたいなって思ったから、こうなってんだろ
 
 
 木田くんは他者に不快感を与えないための気遣いに疲れ果てた“幽霊”だった。そんな木田くんの呼びかけに応えて佐伯が開いた「気を遣わない鍋パ」は、そもそも気を遣わないでいられるような安心できる場を提供する気遣い=ケアの作法を欠いていたがために失敗に終わる。それではそうした気遣い=ケアの作法を佐伯がわきまえていれば、木田くんが現世に執着する理由は解消されたのだろうか? そうではないだろう。鍋パの中で木田くんは、佐伯との会話の中で、共感から行われる気遣い=ケアの倫理が他者を救済されるべき弱者(被害者)として共同体の内部に取り込むイデオロギーであることに気づくのだ。
 
 
佐伯 木田くん、謝っちゃダメだよ、
木田くん あ、もう、はい、すごく、なんだろう、はい、
あや あ、もうなんだろう、見るからに、この会、なんなんだろう、多分、みんな思ってたと思うだけど、
木田くん あはははあはははははあ、傑作だなあ。
 
 
 木田くんは木田くん自身に、そして私たちに染み付いた“気遣いの幽霊”を笑い飛ばす。諸個人の尊厳を尊重する近代的な政治共同体の成員は犠牲にならぬものを道徳位階秩序のうちに引き込むことで記憶に留めようとする。しかし木田くんは逆に、時差式信号機の押しボタンを夢中で推し続ける狂人に社会の犠牲を見る私たちをあざ笑うのである。
 犠牲者として幽霊の生に意味が与えられることを拒絶する。だから木田くんは忘れられる。決して弔われまいとする犠牲にならぬものたちの声は忘却によってこそ拾い上げられるのである。
 ただし、良きニヒリストだけは──どうしてもこの世界の喧騒から生きる意味を汲み出せない虚ろなる者たちだけは、木田くんの声を密やかな愛として思い出すかもしれない。良きニヒリストになることへ私たちを誘惑する声を聞き取るかもしれない。
 
 
あや 今でも聞こえてくるのね、あ、わたしやっとくよ、カチカチカチカチ、今日楽しかったね、カチカチカチカチ、あ、サラダ取り分けましょうか?、カチカチカチカチカチカチカチカチ、しょうがなくない?
 
 
 というわけで、最後にこのレビューの欄外に書き記しておきたいのだが、『気遣いの幽霊』のクリエイションは演劇作品の発表を目的としたものというよりは、ゴーゴリの小説『外套』に出てくる下級官吏・アカーキエウィッチのキャラクターを集団で共有し、それを自由に解釈し、1年以上の時間をかけて、幽霊を幽霊たらしめるものはなにかについての共同探求の方法として演劇を使うものであることにも注意を向けて欲しいと思う。
 じっさい、ゴーゴリの『外套』は幽霊が登場する後半部分に注目を向けられがちであるが、『気遣いの幽霊』は、写字という退屈な役人仕事に熱中していたアカーキエウィッチの幸福に重きを置いて、『外套』を再読する試みでもあるだろう。また、蛙坂須美の怪談ワークショップ、横尾圭亮のロシア演劇とゴーゴリ『外套』をテーマにしたワークショップ、浅川奏瑛による「空間と身体のコレオグラフィ」ワークショップなどを通じて、他分野に場を開いていくクリエイションの方法は、演劇を領域横断的な探求のメディアとして息づかせる。こうして共同探求の方法として演劇を活用するカハタレの実践が、どのような動きを見せていくかにも期待を寄せたい
 
 
 
執筆:渋革まろん
演劇・パフォーマンスを中心に批評活動を展開。「チェルフィッチュ(ズ)の系譜学――新しい〈群れ〉について」で批評再生塾第三期最優秀賞を受賞。演劇系メディア演劇最強論-ingの〈先月の1本〉にてパフォーマンスとポスト劇場文化に関するレビューを連載(2022)。最近の論考に「WWFesにおける〈らへん〉の系譜」(Body Arts Laboratory、2023)、「これが沖縄の’現実’ですか?」(2023)など。パフォーマンスアートのプロジェクト「R5 遺構 I 以降 since then I from now」(2023)、「Inhabited island - War and Body」(2023)などにも参加。
 
 
 
 

 

カハタレ第一回公演「気遣いの幽霊」感想をご紹介

今年も一年お疲れさまでした。

 

2023年、カハタレでは4月に「カハタレの現在地Vol.1」、11月に「第一回公演『気遣いの幽霊』」と二度の公演を行い、たくさんの方にご来場いただきました。また、WSなどの活動を通して、多くの方に関わっていただきました。

みなさまほんとうにありがとうございました!

 

さて、11月に行いました、カハタレ第一回公演「気遣いの幽霊」のアンケートから、ご観劇いただいたお客さまの感想をご紹介します。

アンケート上で、稽古場ブログへのご紹介をご了承いただいた方のご感想から、一部抜粋して記載しております。

 

*****

 

カハタレ第一回公演「気遣いの幽霊」お客さまの感想

(2023年11月24日~26日公演時実施アンケートより抜粋/順不同)

 

 

・脱線というか増殖(?)していくみたいで聞いている自分がどこにいるかわからなくなって、迷路みたいだった。

 

・不条理文学をしっかり劇にしていてすごい作品でした。不条理文学はストーリーラインがわかりづらくなりやすいのに読み返しのできない劇でちゃんとわかりやすくやっていて本当に脚本がうまい。

 

・難しい戯曲、チャレンジングだと思った。誰かスター役者がいないときついなと思った。

 

・どんどん会話が加速していき、ラストに向けてすごく怖かったです。最後に真っ暗になったときひえーっと言いそうになりました。木田くんの異物感が際立っていて普通の空間で特殊効果も使っていないのに不思議でした。

 

・会話がポンポン進んでって面白かった。最後の2回のごめんが印象的でよかった。

 

・現代の言いにくい、訳の分からない様が人の口を通して伝わってきて世相が見えたようで興味深かった。

 

・すごく長いせりふ回しを様々な感情表現を交えて行っていて出演者みんなすごかったです。ユーモアもありつつギクッとするところやゾワっとするところがあり、見ごたえのある作品でした。最後のほうは悪い夢を見ているようでうわーっとなりました。(ほめてます!)

 

・構成が面白かったです。楽しんでみてました。

 

・誰に話しかけているのか分からないけどなんとなく会話が交わって中心に不思議な世界が立ち上がっているそんな感覚を覚えた良い劇でした。

 

・木田さんがこわくなったのがこわかった。特にカチカチカチ...がこわかった。

気づかいの幽霊が最後にはぜんぜんちがういみに感じてすごいと思った。

 

・時間/場所(異なる)を接続する前半部は少し構造のことに意識を割かれた。部屋を後にしての5人のカオスは映画的印象を受けた。

木田くんがちゃんと気持ち悪くてよかった。

フォー≒白滝の形状的類似による連想を面白く感じた。

 

・木田くんの話を中心にしているようでしていないようでしている、雪だるま式にほかの話とかたまりあったつみれをアーンさせられる最下流の男の下流具合がブタイ上で視覚的にみせられているのがよかった。俳優全員に見せ場があって見応えありました。

 

・怪談がモチーフになっているけれど、幽霊は全然怖くなく、一番親密だと思っている関係の中に隠されている見えないことにしている不穏さが少しずつ見えてくる感じが不気味でよかったと思いました。

 

・演劇は久しぶりに観たんですが、とても新鮮に感じました。木田君の芝居がとてもよかった! 

 

・面白かったです。飲み会でくだ巻いてるときの話延々というかんじ、身につまされる部分もありつつ、基本コメディって感じで楽しかったです。

 

・幽霊としての存在理由を何も熱中できなかった汚れちまった自尊心のせいにしていた木田君のやるせなさにいつかの自分を重ねてみてました。そんな木田くんが不自然にも受け入れられていき、話題が集まっていくのが好きだなと思いました。

 

・気づかいは生活の中で必要だけど、過ぎる気づかいは自分を疲れさせてしまう。

 

・カオスでめちゃ好きなテイストでした。コトバの羅列とか場面が切り替わるタイミングとかみていて気持ちよかった。北の国から好きだから嬉しかった。

 

・最初から最後まで稲垣さんワールド!って感じでした。途中からテンポが上がって引き込まれました。

 

・台詞の作り方、回し方、時間軸の作り方がさすがカハタレ!エッキー最高!

 

・めーっちゃ笑えて最高と思ってたら、幽霊というか人って妖怪だなあと思えて最高だなと思ったら木田くんのこと皆忘れててびっくりした。なんで忘れちゃったんだろう。

 

・経路がわからないまま、けれど安心して、何も分からないような、分からないことも分からないような場所へご案内いただいたように感じ非常に面白かったです。理の外し方?ずらし方が巧みで見終わってからも感嘆し通しです。

 

・インフルエンザとか高熱な時の夢みたいでした。もう一回見たい。あの身に覚えのある居心地の悪さ、本当に秀逸でした。

 

・気遣いというテーマが面白かった。笑いありでもテーマを深堀していて面白く観れました。

 

・いくつかの場面が同時に展開されていく構成が面白かったです。木田くんの細かい仕草もつい見入ってしまいました。ストーリーも「わかる!」と思うところが多くて演劇を見るのはほぼ初めてでしたが、話も分かりやすくて面白かったです。

 

*****

 

このほかにもアンケートや、SNSを通してたくさんのご感想をいただきました!どうもありがとうございました!

 

では、みなさまよいお年をお迎えください。

2024年もカハタレをよろしくお願いいたします。

人間の発見/『気遣いの幽霊』を通して (鈴林まり)

人間の発見
『気遣いの幽霊』を通して
 
文:鈴林まり
写真:寺岡慎一郎  
 
 
 
“大部分がSNS映えしない私たちの生”
それを尊いと歌い上げるのでも
諦めて甘んじるのでもなく、
ちょっとそこまで歩くようにして
人物たちが語りはじめる
 
 
 

(左から、あや、ともみ、佐伯)
 
 
あや  どこ向かってるの?
ともみ そうねえ、一旦、歩いてみようと思って、
    歩いてたら、見つかるもんじゃない、
    ここだって、
    今日私たちに最適なのはこの店だ、っての、
[★1、以下戯曲の引用は全て同]
 
二人は食事する店を求めて歩いている
ともみはあやに
「検索っていうか、Siri」は嫌いだと告げ、
右隣の男……彼氏・佐伯と言葉を交わしはじめる
あやと空間をともにしたまま、
先日、彼とした会話を再現する
 
 
 


 
 
長い……
早く食事する店にたどり着きたいと、私も思う
正直いま全然関係ない話を延々と聴くうちに、
あやはあっさり、左隣の男に声をかける
 
 
あや  (……)あれ、わたし、なんでこの子と
    今まで仲良くやってきたんだ?って
    自分で自分のこと不思議に
    なってきていてね、
山下  ふぅーん、
 
 
 

(あや)

 

(山下)

 

(奥から、佐伯・ともみ・あや・山下)
 
 
時制の入れ子構造が、
ホイホイッとした手付きで私たちに示される
 
佐伯くんとともみの、先日の出来事
ともみがそれを振り返ってあやに話す、後日の会話
さらにそのあと、あやが夫・山下にすべてをグチっている、
「今」と言うべき時間
 
会話は、4人の人物、3つの時空の間を
ひらひら横断しながら、
どこに向かっているのかさっぱり分からないままだ
ともかく、歩みは止まらない
 
あやとともみは最初に言葉を発したときから
「その場歩き」していた
客席にまっすぐ向かって立って
ほてほて、同じ場所で左右の足を上下し続けている
RPGのプレイ中、進む先のない壁際かなにかで
十字キーを押したときのように
 
 
 
 
下級役人の外套が傷んだ
ちょうど転がり込んだお金で
新調したのもつかの間、盗まれ
手続きに訴えようとするも
相手にされず死にいたり、
人々の外套を奪う幽霊となって
街をうろつくようになる
 
『気遣いの幽霊』創作の出発点になったという
ゴーゴリ作『外套』のおはなしは
こんな風に要約できてしまう
しかしこの小説の巧さはべつのところにあると思う
冒頭をほんの2、3秒読んだときもう胸に届いて、
結末まで読まなくても構わないと
充たされてしまうほどのしたたかさで襲いかかってくる
 
『外套』は第一文を、
主人公が勤める役所の具体名をぼやかすことに費やす
どこのなにと言ってしまえば差し障りが出るので申しませんが、
とある役所なのだと
 
 
 
 
佐伯  縁切り榎、やばかったよ、
    いや、なんだろう、
    語彙力がなさすぎてごめんだけど、
    やばかった。
    (……)
    なんか、つくりが、そのう、
    祠の構造が、そのう、
    負のオーラ漂ってるって感じで、
    木造の、そうだな、
    どこがどうって細かいこと
    言えないんだけど。
あや  うーわ、細かいこと言って
    ほしかったなあ。
(……)
佐伯  前のおじさんのお祈り長いなあと
    思いながら、
    俺(……)祠の前にぎっちり
    吊るされてる絵馬に
    何が書いてる[ママ]のか
    ずっと気になってて、
    (……)で、結局見なかったん
    だけど、
(……)
ともみ 佐伯くん、ごめんね、
    佐伯くんって、あれだね、
    怖い話するのとか、
    あんま向いてないね、
佐伯  え、なんで、
ともみ あんまり、あれ、とか、
    これ、とか、
    やばい、とか、
    あんまり怖い話で聞かない
    っていうか、
    しかも絵馬買わなかったり、
    絵馬の中身見なかったり、
    怖い話って結構、
    そういうとこ行っちゃうとこ
    あるじゃん、
    あるじゃんっていうか
    グイグイ絵馬の中身とか
    見ちゃう系の人が
    怪異に遭遇したりするわけじゃん、
 
 
佐伯くんは怖い話とかするのにあんま向いてない
この舞台に並ぶ4人が全員そうだ
 
 
あや  ごめん、ごめんね、これ何の話?
ともみ おでんで佐伯くんと喧嘩した話。
あや  おや、あれ、怖い話ってどうなったんだっけ?
ともみ 怖い話、なんだっけ?
あや  ひっぱたいてやろうかな、
山下  ダメダメダメダメ、
あや  この子、いっつもそうなのね、つまり、
    話し始めると止まらなくて、
    何の話してるのか忘れて
    ずっと話してて、
    わたし、ずっと、
    ずーーーっと聞いてるわけ、
山下  へー、と、まあ、
    その話を聞かされているのが
    僕ってことになるんだけど、
 
 
話は中断され、
像を結びきらないまま別の件へ焦点をずらされ続け、
ときどきある人物の心情を集中して掘り下げるけれど、
内容はたいてい微妙に共感しづらい
一言でいうと、
「私たちの生におけるSNS映えしない大半の時間」[★2]
それだけを丹念に選り抜いたような光景がつづられてゆく
 
人物たちは、個々の主観……
他の人物にとっては思い入れしづらい話を
好き勝手に語ってはいる
しかし全体からただよってくるのは、
今なんの話題に焦点が絞られているのか、以前に
この話をしたいのは一体“誰”なのか、という疑念だ
 
伝聞の多重構造を横断した会話のなかで
語り手が話を伝えようとする欲求は、
もともと話をしてきた人物の欲求と境界があいまいになる
しかし同時にみんな聞き手として、
当のその話を、もともとさほど聞きたいと思って聞いてきたわけではない
そして今ここで「自分が」これを語りたいという確信もあんまりない
 
まるで誰のものでもない言葉が空中を漂っているようだ
 
 
 

 
 
木田くんは、そんな人々のもとへ突然現れる
 
 
 



 
木田くんは幽霊で、佐伯くんに初めて出会うなり
上着をもらおうとする
ゴーゴリの『外套』で、
幽霊になった主人公の似姿のように
 
趣味は信号のボタンをカチカチ押すこと
彼女なしで亡くなった
陰キャである
狂言よろしく下手から現れて
堂々と幽霊を名乗る
 
挙動不審で独り言みたいにしゃべってばかりいるし、
数秒に一度ノッキングして話の矛先を変え続ける
ここにいることが当たり前ではないかのように
数秒に一度、自分に驚いているかのように
自分の存在を疑っている
 
 
 
 
木田くんは、佐伯がハッキリ断れなかったせいで、
ともみとのデートに乱入する
ともみは3人で遊ぶ時間をどうしても楽しめず、
木田くんをハッキリ傷付けてしまう
 
いろいろあった末、
二人は木田くんのために鍋パーティを催し、
あたたかくもてなすことにする
なぜか、あや・山下夫妻の家を会場に
ダブルカップル+木田くん、
5人での鍋パがはじまる
 
 
 

(佐伯)

 

(ともみ)

 

(木田くん)

 

(あや)

 

(山下)
 
 
 
ここで初めて全員が、同じ時空で会話を重ねる
佐伯はこの会を
お互い“気を遣わない”会にしたいと意気込み、
相手への配慮に欠けた言動や行動を繰り返す
 
鍋パは盛り上がらず、
どんどん空気が悪くなる
事態は「この話をしたいのは誰なのか?」を超えて
「私たちは今なぜここにいるのか?」の不条理劇へと突入していた
 
 
思ってみれば不思議なことだ
そんなの本当は、今にはじまったことじゃない
佐伯の木田くんへの友情は、鍋パを自分の家で催すほどには厚くない
ともみはなぜ会話の成立しない佐伯の彼女でいるのか?
あやは、ともみと気が合わないまま友だち付き合いしている
 
 
 
鍋パが始まるまでその不気味さ
……「みんなもともとさほどそこに存在したくないまま佇んでいる」
その深淵を見つめずに済んだのは、
「語り伝える」という大義があったせいではないか
 
 
 


 
 
過去の出来事は、
「語る」目的をもって呼び出される
つまり、ネタとして「必要とされる」
なぜ語るかといえば、
隣に「聞く人がいるから」である
 
それらの大義に守られているあいだ、
人物たちは「今ここにいる理由」を保証されていた
 
全員が均一な時空に集合し、
伝聞の構造が取り払われた今
みんなあまりにも、今ここにいる理由そのものが希薄だ
みんな少し、木田くんの「普通」に似て見える
 
ここにいることが当たり前ではないかのように
数秒に一度、自分に驚いているかのように
自分の存在を疑っている木田くんに、
少しだけ似ている
自然そうに振る舞って、それを見ないようにしている
 
 
 
 
ある省のある局に……しかし何局とはっきり言わないほうがいいだろう。
[★3]
 
 
『外套』のはじまりでは
「役所」を描写することによって
ロシア近代社会という舞台が示されている
 
しかしその語り口に注目すれば、
「むかしむかしあるところに……」
に似ていることに気付く
 
 
おしなべて官房とか連隊とか事務局とか、一口にいえば、
あらゆる役人階級ほど怒りっぽいものはないからである(……)そんな次第で、
いろんな面白からぬことを避けるためには、便宜上この問題の局を、
ただ【ある局】というだけにとどめておくに如くはないだろう。
さて、そのある局に、【一人の官吏】が勤めていた――官吏、といったところで、
大して立派な役柄の者ではなかった。背丈がちんちくりんで、顔には薄あばたがあり、
髪の毛は赤ちゃけ、それに目がしょぼしょぼしていて、額が少し禿げあがり、
頬の両側には小皺が寄って、どうもその顔いろはいわゆる痔もちらしい……
[★3]
 
 
外套のほころびを出発点に、
主人公がたどる道のりについては
さきに見たとおりだ
 
その流れをおとぎ話の構造で捉え直すとき
近代社会制度は批判の対象というよりも、
深い森をさまようとか、クジラのおなかにいっぺん入るとか
狼と攻防して命を落としたり生き延びたりする類の
通過儀礼〔イニシエーション〕を経験させる場、
つまり、異界として設えられているように感じられる
目的地ではない、一時的な滞在地
 
規格外の心情は無とみなされる人工の異界を通過して、
小役人は幽霊に生まれ変わる
喪われゆく世を物語へ移住させて残そうとした
歴史上、世界中、あまたの作家の執念へ連なるように
 
 
 
 
さて、
 
 

 
 
鍋パで木田くんをもてなすメンバーのなか、
山下だけはホスト役を押し付けられた理不尽を嘆き、
主体的に葛藤する様子を見せている
ガマンが限界に達したとき、
外に出て歩こうとみんなに提案する
 
すごい!
この人は自分の意志で提案したのだ
 
 
 
 
舞台は、あやの語りで閉じられる
あのあと、誰も木田くんのことを覚えていないというのだ
 
あまりにも素朴な理解だが、
木田くんが消えたのは
山下が自分の意志を「見つけた」からではないかと
私は思う
 
決然と主張できる人間になったとか、
個を確立したとか、
他者を尊重しながらも自分軸で生きられるようになったとかいう
自己啓発的なニュアンスではない
 
“もうやめさせてもらうわ”
そんな感じでパリッとツッコむ力が
もともと彼のなかにあった
 
でもそれは山下が、
「木田くん」は自分のなかにいると
痛いほど認めたからなしえたことなのだと私は思う
 
 
 




 
 
 
 
★1:稲垣和俊『気遣いの幽霊』戯曲
 カハタレ日誌
 
★2
WEBライター同士の雑談で、
恐怖をあおる以外の方法でアクセス数を伸ばす方が
世の中も自分たち書き手も幸せなんじゃないか、
と話したことがある
 
この情報を見逃すと損をするとか、
今すぐこの行動をやめないと
危険だ、嫌われる、不健康になるといったたぐいの
不安をあおる文句で記事を開かせる
 
このお決まりのやり方
私たちは貧相なコミュニケーションを繰り返し、
読もうとした行為が危機感のわりに徒労に終わる経験を積み重ね、
不信感、おおげさに言えば虚無へと一歩一歩近づいているのではないか
 
しかし同時に、
不安であれ、暴露であれ、絶景、動物、美人、裸であれ
具体性とディテール、リアリティ、希少性の演出が
オンラインで注目を集めるための主たるテクニックのひとつであること
その原理自体を、あるがままに見つめる必要はあると思っている
 
★3:ニコライ・ゴーゴリ(平井肇)『外套』
 
 
 
 
執筆者:鈴林まり
名古屋出身の舞台俳優・ライター。
OL生活と日本舞踊名取取得を経て、
2012年より、主にSPAC−静岡県舞台芸術センターにて国内外の公演に出演。
同年より劇評・ネットコラムなどを書きはじめる。
2020年を機に、動画作りをスタート。
脚本・音楽・ナレーション・編集をトータルに行うスタイルで、体感の伝わる作品を目指す。

X:@mari09april