カハタレ日誌

カハタレの稽古の様子

幽霊を弔わないこと、良きニヒリストになること(渋革まろん)

幽霊を弔わないこと、良きニヒリストになること
 
 犠牲にならぬものたちの声を犠牲にならぬままに拾い上げることは可能だろうか? あるいは、犠牲にならぬものたちの声はどうして犠牲にならぬものたちの声として聞かれ得ないのだろうか? 『気遣いの幽霊』というテキストから連ねられた時間のなかで、私が抱いていたのはそんな疑問だ。
 
 
佐伯 その時、カチカチカチカチ、って音が聞こえてきて、なんだろうって思ったら木田くんがあの、押しボタン、押してるんだよね
 
 
 木田くんは幽霊だ。あるいは幽霊を名乗る男だ。あるとき佐伯という男は、「お召し物をくださいませんでしょうか?」と声をかける木田くんに出会うのだが、木田くんには幽霊らしいところがなにもない。言動がやや常識外れなだけで、触れることも会話することもできる。つまり実体がある。そんな彼の「気を遣わずに喋れる友達が一人もいなかった」という言葉に心を動かされた佐伯は、彼を恋人のともみとのデートに連れて行ったり、「気を遣わない鍋パ」を提案して、ともみの友人のあやとその夫(山下)の家で無理やりチゲ鍋パーティを開いたりする。しかし、そうした佐伯の気遣いはことごとく悲惨な結果を招く。最終的に、鍋パの気まずさを打破するために外出した一行は、その途中で木田くんが時差式信号機の押しボタンを夢中で推し続けるのを目撃することになる。
 この作品にはさまざまな幽霊性が散りばめられている。幽霊は死後の怨念や心残りがある特定の場所・時間においてかたちを成して現在に生きるものたちを脅かす。つまり、存在していないが存在していないわけでもない非在の形象である。まず第一に、空回りする佐伯の気遣いは、佐伯が気遣いをしているというよりも気遣いが佐伯に行動させているという意味で、気遣いの幽霊に取り憑かれているように見えるだろう。
 また、佐伯に対するともみの愚痴をあやが聞くところから始まり、その佐伯が語る木田くんの話をともみがあやに語り、それをあやが夫の山下くんに語るというかたちで、過去を現在に包摂していくように語り手を横滑りさせながら、最終的にその全体があやの怪談話だったことになって終わるこの戯曲は、人から人に伝播しながらそのつど遡行的/パフォーマティブに”オリジナル”が作り直されていく民話的な怪奇譚、あるいは「洒落怖」のようなネットミーム的な怪談の形式を演劇的な語りの構造に落とし込んでいる。そこで非人称化される語りの主体にもある種の幽霊性が看取される。
 最後に、上演の位相においても、終始横並びで舞台に立っているにもかかわらず、語りの構造の中で時間軸上の別の時点にいることになる俳優の身体は、上演の現在を共有しながら共有していないという幽霊的な位相のズレを伴ってそこに置かれることになる。
 このように登場人物の類型、語りの構造、上演の位相のそれぞれで幽霊性が見出される。しかしそれはある意味で当然のことだ。演劇という形式は、テクストやモノや人体、諸要素を取り結ぶ関係性の力学を作動させることで、そこにないものをあたかもそこにあるかのようにみせる想像のメディアであるからだ。近代リアリズム演劇の信奉者でなければ、演劇というメディアが存在と不在のあいだに幽けきものの触媒にならざるをえないことを知っている。けれども木田くんには演劇的な幽けさがほとんどないのである。なぜ本作には幽けらぬ幽霊がそれとして登場せねばならなかったのか?
 生者を脅かすほどに強烈な念を留めることがなかったものたち、すなわち、犠牲にならぬものたちの声にかたちを与えるためではないか。犠牲者の名は追悼される資格を持つものだけに与えられる。その資格とは私たち──政治的共同体──の同胞であることだ。死者は常に善悪、そして勝敗の両面において私たちの歴史を築いた意義深いものとして思い出される。祖父母が命をつないでくれたから今の私がいる。先人の努力があったから今の豊かな生活がある(あるいはない)。戦争の犠牲者に報いるために戦後の平和を守らねばならない。けれども、時差式信号機の押しボタンを夢中で推し続けたものは、誰が記憶に留めるだろうか? あまつさえ悼まれるべき犠牲者として?
 
 
あや って、みんなあの時の木田くんを、木田くんのカチカチカチカチを忘れていて、
ともみ 夢でも見たじゃないの?
 
 
 こうして木田くんの存在はすっかり忘却されることになるわけだが、それは彼が幽霊だからではなく、個人史や家族史や日本史や世界史……どのようなスケールであろうと歴史的に意義深いものとして想起されうる幽霊の資格を持たないからだ。木田くんが幽霊らしからぬものとして舞台上に登場するのは、死者の声を呼び起こし幽(かそけ)ものの触媒となる劇形式のイデオロギーを逆に利用し、犠牲者として記憶に留めることができない実在する幽霊を明かすためなのである。
 演劇を通じた死者の追悼は幽霊の生に意味を与える。だから犠牲にならぬものとしての木田くんは幽霊らしからぬものとして登場せざるえない。非在の幽霊ではないありありとした実在として。けれども、それは木田くんが犠牲者として弔われないものであることを意味しない。むしろ木田くんは救済されるべき“被害者”として記憶されることを拒絶する。
 
 
木田くん そのお前のためにってのが無くならない限り、エッキー、わたしとあなたは対等じゃないんすよ
佐伯 は?、なんだよそれ、ふざけんなよ、お前が助けてって言っただろ、助けてあげたいなって思ったから、こうなってんだろ
 
 
 木田くんは他者に不快感を与えないための気遣いに疲れ果てた“幽霊”だった。そんな木田くんの呼びかけに応えて佐伯が開いた「気を遣わない鍋パ」は、そもそも気を遣わないでいられるような安心できる場を提供する気遣い=ケアの作法を欠いていたがために失敗に終わる。それではそうした気遣い=ケアの作法を佐伯がわきまえていれば、木田くんが現世に執着する理由は解消されたのだろうか? そうではないだろう。鍋パの中で木田くんは、佐伯との会話の中で、共感から行われる気遣い=ケアの倫理が他者を救済されるべき弱者(被害者)として共同体の内部に取り込むイデオロギーであることに気づくのだ。
 
 
佐伯 木田くん、謝っちゃダメだよ、
木田くん あ、もう、はい、すごく、なんだろう、はい、
あや あ、もうなんだろう、見るからに、この会、なんなんだろう、多分、みんな思ってたと思うだけど、
木田くん あはははあはははははあ、傑作だなあ。
 
 
 木田くんは木田くん自身に、そして私たちに染み付いた“気遣いの幽霊”を笑い飛ばす。諸個人の尊厳を尊重する近代的な政治共同体の成員は犠牲にならぬものを道徳位階秩序のうちに引き込むことで記憶に留めようとする。しかし木田くんは逆に、時差式信号機の押しボタンを夢中で推し続ける狂人に社会の犠牲を見る私たちをあざ笑うのである。
 犠牲者として幽霊の生に意味が与えられることを拒絶する。だから木田くんは忘れられる。決して弔われまいとする犠牲にならぬものたちの声は忘却によってこそ拾い上げられるのである。
 ただし、良きニヒリストだけは──どうしてもこの世界の喧騒から生きる意味を汲み出せない虚ろなる者たちだけは、木田くんの声を密やかな愛として思い出すかもしれない。良きニヒリストになることへ私たちを誘惑する声を聞き取るかもしれない。
 
 
あや 今でも聞こえてくるのね、あ、わたしやっとくよ、カチカチカチカチ、今日楽しかったね、カチカチカチカチ、あ、サラダ取り分けましょうか?、カチカチカチカチカチカチカチカチ、しょうがなくない?
 
 
 というわけで、最後にこのレビューの欄外に書き記しておきたいのだが、『気遣いの幽霊』のクリエイションは演劇作品の発表を目的としたものというよりは、ゴーゴリの小説『外套』に出てくる下級官吏・アカーキエウィッチのキャラクターを集団で共有し、それを自由に解釈し、1年以上の時間をかけて、幽霊を幽霊たらしめるものはなにかについての共同探求の方法として演劇を使うものであることにも注意を向けて欲しいと思う。
 じっさい、ゴーゴリの『外套』は幽霊が登場する後半部分に注目を向けられがちであるが、『気遣いの幽霊』は、写字という退屈な役人仕事に熱中していたアカーキエウィッチの幸福に重きを置いて、『外套』を再読する試みでもあるだろう。また、蛙坂須美の怪談ワークショップ、横尾圭亮のロシア演劇とゴーゴリ『外套』をテーマにしたワークショップ、浅川奏瑛による「空間と身体のコレオグラフィ」ワークショップなどを通じて、他分野に場を開いていくクリエイションの方法は、演劇を領域横断的な探求のメディアとして息づかせる。こうして共同探求の方法として演劇を活用するカハタレの実践が、どのような動きを見せていくかにも期待を寄せたい
 
 
 
執筆:渋革まろん
演劇・パフォーマンスを中心に批評活動を展開。「チェルフィッチュ(ズ)の系譜学――新しい〈群れ〉について」で批評再生塾第三期最優秀賞を受賞。演劇系メディア演劇最強論-ingの〈先月の1本〉にてパフォーマンスとポスト劇場文化に関するレビューを連載(2022)。最近の論考に「WWFesにおける〈らへん〉の系譜」(Body Arts Laboratory、2023)、「これが沖縄の’現実’ですか?」(2023)など。パフォーマンスアートのプロジェクト「R5 遺構 I 以降 since then I from now」(2023)、「Inhabited island - War and Body」(2023)などにも参加。
 
 
 
 

 

カハタレ第一回公演「気遣いの幽霊」感想をご紹介

今年も一年お疲れさまでした。

 

2023年、カハタレでは4月に「カハタレの現在地Vol.1」、11月に「第一回公演『気遣いの幽霊』」と二度の公演を行い、たくさんの方にご来場いただきました。また、WSなどの活動を通して、多くの方に関わっていただきました。

みなさまほんとうにありがとうございました!

 

さて、11月に行いました、カハタレ第一回公演「気遣いの幽霊」のアンケートから、ご観劇いただいたお客さまの感想をご紹介します。

アンケート上で、稽古場ブログへのご紹介をご了承いただいた方のご感想から、一部抜粋して記載しております。

 

*****

 

カハタレ第一回公演「気遣いの幽霊」お客さまの感想

(2023年11月24日~26日公演時実施アンケートより抜粋/順不同)

 

 

・脱線というか増殖(?)していくみたいで聞いている自分がどこにいるかわからなくなって、迷路みたいだった。

 

・不条理文学をしっかり劇にしていてすごい作品でした。不条理文学はストーリーラインがわかりづらくなりやすいのに読み返しのできない劇でちゃんとわかりやすくやっていて本当に脚本がうまい。

 

・難しい戯曲、チャレンジングだと思った。誰かスター役者がいないときついなと思った。

 

・どんどん会話が加速していき、ラストに向けてすごく怖かったです。最後に真っ暗になったときひえーっと言いそうになりました。木田くんの異物感が際立っていて普通の空間で特殊効果も使っていないのに不思議でした。

 

・会話がポンポン進んでって面白かった。最後の2回のごめんが印象的でよかった。

 

・現代の言いにくい、訳の分からない様が人の口を通して伝わってきて世相が見えたようで興味深かった。

 

・すごく長いせりふ回しを様々な感情表現を交えて行っていて出演者みんなすごかったです。ユーモアもありつつギクッとするところやゾワっとするところがあり、見ごたえのある作品でした。最後のほうは悪い夢を見ているようでうわーっとなりました。(ほめてます!)

 

・構成が面白かったです。楽しんでみてました。

 

・誰に話しかけているのか分からないけどなんとなく会話が交わって中心に不思議な世界が立ち上がっているそんな感覚を覚えた良い劇でした。

 

・木田さんがこわくなったのがこわかった。特にカチカチカチ...がこわかった。

気づかいの幽霊が最後にはぜんぜんちがういみに感じてすごいと思った。

 

・時間/場所(異なる)を接続する前半部は少し構造のことに意識を割かれた。部屋を後にしての5人のカオスは映画的印象を受けた。

木田くんがちゃんと気持ち悪くてよかった。

フォー≒白滝の形状的類似による連想を面白く感じた。

 

・木田くんの話を中心にしているようでしていないようでしている、雪だるま式にほかの話とかたまりあったつみれをアーンさせられる最下流の男の下流具合がブタイ上で視覚的にみせられているのがよかった。俳優全員に見せ場があって見応えありました。

 

・怪談がモチーフになっているけれど、幽霊は全然怖くなく、一番親密だと思っている関係の中に隠されている見えないことにしている不穏さが少しずつ見えてくる感じが不気味でよかったと思いました。

 

・演劇は久しぶりに観たんですが、とても新鮮に感じました。木田君の芝居がとてもよかった! 

 

・面白かったです。飲み会でくだ巻いてるときの話延々というかんじ、身につまされる部分もありつつ、基本コメディって感じで楽しかったです。

 

・幽霊としての存在理由を何も熱中できなかった汚れちまった自尊心のせいにしていた木田君のやるせなさにいつかの自分を重ねてみてました。そんな木田くんが不自然にも受け入れられていき、話題が集まっていくのが好きだなと思いました。

 

・気づかいは生活の中で必要だけど、過ぎる気づかいは自分を疲れさせてしまう。

 

・カオスでめちゃ好きなテイストでした。コトバの羅列とか場面が切り替わるタイミングとかみていて気持ちよかった。北の国から好きだから嬉しかった。

 

・最初から最後まで稲垣さんワールド!って感じでした。途中からテンポが上がって引き込まれました。

 

・台詞の作り方、回し方、時間軸の作り方がさすがカハタレ!エッキー最高!

 

・めーっちゃ笑えて最高と思ってたら、幽霊というか人って妖怪だなあと思えて最高だなと思ったら木田くんのこと皆忘れててびっくりした。なんで忘れちゃったんだろう。

 

・経路がわからないまま、けれど安心して、何も分からないような、分からないことも分からないような場所へご案内いただいたように感じ非常に面白かったです。理の外し方?ずらし方が巧みで見終わってからも感嘆し通しです。

 

・インフルエンザとか高熱な時の夢みたいでした。もう一回見たい。あの身に覚えのある居心地の悪さ、本当に秀逸でした。

 

・気遣いというテーマが面白かった。笑いありでもテーマを深堀していて面白く観れました。

 

・いくつかの場面が同時に展開されていく構成が面白かったです。木田くんの細かい仕草もつい見入ってしまいました。ストーリーも「わかる!」と思うところが多くて演劇を見るのはほぼ初めてでしたが、話も分かりやすくて面白かったです。

 

*****

 

このほかにもアンケートや、SNSを通してたくさんのご感想をいただきました!どうもありがとうございました!

 

では、みなさまよいお年をお迎えください。

2024年もカハタレをよろしくお願いいたします。

人間の発見/『気遣いの幽霊』を通して (鈴林まり)

人間の発見
『気遣いの幽霊』を通して
 
文:鈴林まり
写真:寺岡慎一郎  
 
 
 
“大部分がSNS映えしない私たちの生”
それを尊いと歌い上げるのでも
諦めて甘んじるのでもなく、
ちょっとそこまで歩くようにして
人物たちが語りはじめる
 
 
 

(左から、あや、ともみ、佐伯)
 
 
あや  どこ向かってるの?
ともみ そうねえ、一旦、歩いてみようと思って、
    歩いてたら、見つかるもんじゃない、
    ここだって、
    今日私たちに最適なのはこの店だ、っての、
[★1、以下戯曲の引用は全て同]
 
二人は食事する店を求めて歩いている
ともみはあやに
「検索っていうか、Siri」は嫌いだと告げ、
右隣の男……彼氏・佐伯と言葉を交わしはじめる
あやと空間をともにしたまま、
先日、彼とした会話を再現する
 
 
 


 
 
長い……
早く食事する店にたどり着きたいと、私も思う
正直いま全然関係ない話を延々と聴くうちに、
あやはあっさり、左隣の男に声をかける
 
 
あや  (……)あれ、わたし、なんでこの子と
    今まで仲良くやってきたんだ?って
    自分で自分のこと不思議に
    なってきていてね、
山下  ふぅーん、
 
 
 

(あや)

 

(山下)

 

(奥から、佐伯・ともみ・あや・山下)
 
 
時制の入れ子構造が、
ホイホイッとした手付きで私たちに示される
 
佐伯くんとともみの、先日の出来事
ともみがそれを振り返ってあやに話す、後日の会話
さらにそのあと、あやが夫・山下にすべてをグチっている、
「今」と言うべき時間
 
会話は、4人の人物、3つの時空の間を
ひらひら横断しながら、
どこに向かっているのかさっぱり分からないままだ
ともかく、歩みは止まらない
 
あやとともみは最初に言葉を発したときから
「その場歩き」していた
客席にまっすぐ向かって立って
ほてほて、同じ場所で左右の足を上下し続けている
RPGのプレイ中、進む先のない壁際かなにかで
十字キーを押したときのように
 
 
 
 
下級役人の外套が傷んだ
ちょうど転がり込んだお金で
新調したのもつかの間、盗まれ
手続きに訴えようとするも
相手にされず死にいたり、
人々の外套を奪う幽霊となって
街をうろつくようになる
 
『気遣いの幽霊』創作の出発点になったという
ゴーゴリ作『外套』のおはなしは
こんな風に要約できてしまう
しかしこの小説の巧さはべつのところにあると思う
冒頭をほんの2、3秒読んだときもう胸に届いて、
結末まで読まなくても構わないと
充たされてしまうほどのしたたかさで襲いかかってくる
 
『外套』は第一文を、
主人公が勤める役所の具体名をぼやかすことに費やす
どこのなにと言ってしまえば差し障りが出るので申しませんが、
とある役所なのだと
 
 
 
 
佐伯  縁切り榎、やばかったよ、
    いや、なんだろう、
    語彙力がなさすぎてごめんだけど、
    やばかった。
    (……)
    なんか、つくりが、そのう、
    祠の構造が、そのう、
    負のオーラ漂ってるって感じで、
    木造の、そうだな、
    どこがどうって細かいこと
    言えないんだけど。
あや  うーわ、細かいこと言って
    ほしかったなあ。
(……)
佐伯  前のおじさんのお祈り長いなあと
    思いながら、
    俺(……)祠の前にぎっちり
    吊るされてる絵馬に
    何が書いてる[ママ]のか
    ずっと気になってて、
    (……)で、結局見なかったん
    だけど、
(……)
ともみ 佐伯くん、ごめんね、
    佐伯くんって、あれだね、
    怖い話するのとか、
    あんま向いてないね、
佐伯  え、なんで、
ともみ あんまり、あれ、とか、
    これ、とか、
    やばい、とか、
    あんまり怖い話で聞かない
    っていうか、
    しかも絵馬買わなかったり、
    絵馬の中身見なかったり、
    怖い話って結構、
    そういうとこ行っちゃうとこ
    あるじゃん、
    あるじゃんっていうか
    グイグイ絵馬の中身とか
    見ちゃう系の人が
    怪異に遭遇したりするわけじゃん、
 
 
佐伯くんは怖い話とかするのにあんま向いてない
この舞台に並ぶ4人が全員そうだ
 
 
あや  ごめん、ごめんね、これ何の話?
ともみ おでんで佐伯くんと喧嘩した話。
あや  おや、あれ、怖い話ってどうなったんだっけ?
ともみ 怖い話、なんだっけ?
あや  ひっぱたいてやろうかな、
山下  ダメダメダメダメ、
あや  この子、いっつもそうなのね、つまり、
    話し始めると止まらなくて、
    何の話してるのか忘れて
    ずっと話してて、
    わたし、ずっと、
    ずーーーっと聞いてるわけ、
山下  へー、と、まあ、
    その話を聞かされているのが
    僕ってことになるんだけど、
 
 
話は中断され、
像を結びきらないまま別の件へ焦点をずらされ続け、
ときどきある人物の心情を集中して掘り下げるけれど、
内容はたいてい微妙に共感しづらい
一言でいうと、
「私たちの生におけるSNS映えしない大半の時間」[★2]
それだけを丹念に選り抜いたような光景がつづられてゆく
 
人物たちは、個々の主観……
他の人物にとっては思い入れしづらい話を
好き勝手に語ってはいる
しかし全体からただよってくるのは、
今なんの話題に焦点が絞られているのか、以前に
この話をしたいのは一体“誰”なのか、という疑念だ
 
伝聞の多重構造を横断した会話のなかで
語り手が話を伝えようとする欲求は、
もともと話をしてきた人物の欲求と境界があいまいになる
しかし同時にみんな聞き手として、
当のその話を、もともとさほど聞きたいと思って聞いてきたわけではない
そして今ここで「自分が」これを語りたいという確信もあんまりない
 
まるで誰のものでもない言葉が空中を漂っているようだ
 
 
 

 
 
木田くんは、そんな人々のもとへ突然現れる
 
 
 



 
木田くんは幽霊で、佐伯くんに初めて出会うなり
上着をもらおうとする
ゴーゴリの『外套』で、
幽霊になった主人公の似姿のように
 
趣味は信号のボタンをカチカチ押すこと
彼女なしで亡くなった
陰キャである
狂言よろしく下手から現れて
堂々と幽霊を名乗る
 
挙動不審で独り言みたいにしゃべってばかりいるし、
数秒に一度ノッキングして話の矛先を変え続ける
ここにいることが当たり前ではないかのように
数秒に一度、自分に驚いているかのように
自分の存在を疑っている
 
 
 
 
木田くんは、佐伯がハッキリ断れなかったせいで、
ともみとのデートに乱入する
ともみは3人で遊ぶ時間をどうしても楽しめず、
木田くんをハッキリ傷付けてしまう
 
いろいろあった末、
二人は木田くんのために鍋パーティを催し、
あたたかくもてなすことにする
なぜか、あや・山下夫妻の家を会場に
ダブルカップル+木田くん、
5人での鍋パがはじまる
 
 
 

(佐伯)

 

(ともみ)

 

(木田くん)

 

(あや)

 

(山下)
 
 
 
ここで初めて全員が、同じ時空で会話を重ねる
佐伯はこの会を
お互い“気を遣わない”会にしたいと意気込み、
相手への配慮に欠けた言動や行動を繰り返す
 
鍋パは盛り上がらず、
どんどん空気が悪くなる
事態は「この話をしたいのは誰なのか?」を超えて
「私たちは今なぜここにいるのか?」の不条理劇へと突入していた
 
 
思ってみれば不思議なことだ
そんなの本当は、今にはじまったことじゃない
佐伯の木田くんへの友情は、鍋パを自分の家で催すほどには厚くない
ともみはなぜ会話の成立しない佐伯の彼女でいるのか?
あやは、ともみと気が合わないまま友だち付き合いしている
 
 
 
鍋パが始まるまでその不気味さ
……「みんなもともとさほどそこに存在したくないまま佇んでいる」
その深淵を見つめずに済んだのは、
「語り伝える」という大義があったせいではないか
 
 
 


 
 
過去の出来事は、
「語る」目的をもって呼び出される
つまり、ネタとして「必要とされる」
なぜ語るかといえば、
隣に「聞く人がいるから」である
 
それらの大義に守られているあいだ、
人物たちは「今ここにいる理由」を保証されていた
 
全員が均一な時空に集合し、
伝聞の構造が取り払われた今
みんなあまりにも、今ここにいる理由そのものが希薄だ
みんな少し、木田くんの「普通」に似て見える
 
ここにいることが当たり前ではないかのように
数秒に一度、自分に驚いているかのように
自分の存在を疑っている木田くんに、
少しだけ似ている
自然そうに振る舞って、それを見ないようにしている
 
 
 
 
ある省のある局に……しかし何局とはっきり言わないほうがいいだろう。
[★3]
 
 
『外套』のはじまりでは
「役所」を描写することによって
ロシア近代社会という舞台が示されている
 
しかしその語り口に注目すれば、
「むかしむかしあるところに……」
に似ていることに気付く
 
 
おしなべて官房とか連隊とか事務局とか、一口にいえば、
あらゆる役人階級ほど怒りっぽいものはないからである(……)そんな次第で、
いろんな面白からぬことを避けるためには、便宜上この問題の局を、
ただ【ある局】というだけにとどめておくに如くはないだろう。
さて、そのある局に、【一人の官吏】が勤めていた――官吏、といったところで、
大して立派な役柄の者ではなかった。背丈がちんちくりんで、顔には薄あばたがあり、
髪の毛は赤ちゃけ、それに目がしょぼしょぼしていて、額が少し禿げあがり、
頬の両側には小皺が寄って、どうもその顔いろはいわゆる痔もちらしい……
[★3]
 
 
外套のほころびを出発点に、
主人公がたどる道のりについては
さきに見たとおりだ
 
その流れをおとぎ話の構造で捉え直すとき
近代社会制度は批判の対象というよりも、
深い森をさまようとか、クジラのおなかにいっぺん入るとか
狼と攻防して命を落としたり生き延びたりする類の
通過儀礼〔イニシエーション〕を経験させる場、
つまり、異界として設えられているように感じられる
目的地ではない、一時的な滞在地
 
規格外の心情は無とみなされる人工の異界を通過して、
小役人は幽霊に生まれ変わる
喪われゆく世を物語へ移住させて残そうとした
歴史上、世界中、あまたの作家の執念へ連なるように
 
 
 
 
さて、
 
 

 
 
鍋パで木田くんをもてなすメンバーのなか、
山下だけはホスト役を押し付けられた理不尽を嘆き、
主体的に葛藤する様子を見せている
ガマンが限界に達したとき、
外に出て歩こうとみんなに提案する
 
すごい!
この人は自分の意志で提案したのだ
 
 
 
 
舞台は、あやの語りで閉じられる
あのあと、誰も木田くんのことを覚えていないというのだ
 
あまりにも素朴な理解だが、
木田くんが消えたのは
山下が自分の意志を「見つけた」からではないかと
私は思う
 
決然と主張できる人間になったとか、
個を確立したとか、
他者を尊重しながらも自分軸で生きられるようになったとかいう
自己啓発的なニュアンスではない
 
“もうやめさせてもらうわ”
そんな感じでパリッとツッコむ力が
もともと彼のなかにあった
 
でもそれは山下が、
「木田くん」は自分のなかにいると
痛いほど認めたからなしえたことなのだと私は思う
 
 
 




 
 
 
 
★1:稲垣和俊『気遣いの幽霊』戯曲
 カハタレ日誌
 
★2
WEBライター同士の雑談で、
恐怖をあおる以外の方法でアクセス数を伸ばす方が
世の中も自分たち書き手も幸せなんじゃないか、
と話したことがある
 
この情報を見逃すと損をするとか、
今すぐこの行動をやめないと
危険だ、嫌われる、不健康になるといったたぐいの
不安をあおる文句で記事を開かせる
 
このお決まりのやり方
私たちは貧相なコミュニケーションを繰り返し、
読もうとした行為が危機感のわりに徒労に終わる経験を積み重ね、
不信感、おおげさに言えば虚無へと一歩一歩近づいているのではないか
 
しかし同時に、
不安であれ、暴露であれ、絶景、動物、美人、裸であれ
具体性とディテール、リアリティ、希少性の演出が
オンラインで注目を集めるための主たるテクニックのひとつであること
その原理自体を、あるがままに見つめる必要はあると思っている
 
★3:ニコライ・ゴーゴリ(平井肇)『外套』
 
 
 
 
執筆者:鈴林まり
名古屋出身の舞台俳優・ライター。
OL生活と日本舞踊名取取得を経て、
2012年より、主にSPAC−静岡県舞台芸術センターにて国内外の公演に出演。
同年より劇評・ネットコラムなどを書きはじめる。
2020年を機に、動画作りをスタート。
脚本・音楽・ナレーション・編集をトータルに行うスタイルで、体感の伝わる作品を目指す。

X:@mari09april

 

「気遣いの幽霊ができるまで」

当日パンフで配布した「気遣いの幽霊ができるまで」をまとめました。

(タイトルをクリックしてもらえれば稽古場日誌が読めます)

以下

 

20220710夜、ゴーゴリ「鼻」「外套」読んできた。 - カハタレ日誌 (hatenablog.com)

ゴーゴリの「外套」「鼻」をみんなそれぞれ読んできて、ブレインストーミング(思ったこと、感想、やりたいことを大きな一枚の紙に何も考えず書く)

・去年の夏の出来事、遠い過去のようです。

 

20220731夜、ゴーゴリもとに書いてきた - カハタレ日誌 (hatenablog.com)

・前回稽古のことを受けて、それぞれ書いてきて発表。木田くんという主要キャラが誕生。

・その後、共同劇作のやり方をどうするか、今後どういう風にカハタレとして活動していくかなど様々な問題を抱え、しばらく創作ストップ。

・四月に「カハタレの現在地vol.1」のオムニバス上演が決まり、一時期存在を忘れられるが、助成金申請するならと十一月に公演をすることが決まる。

 

検察官/査察官(ニコライ・ゴーゴリ)を読む - カハタレ日誌 (hatenablog.com)

・あさきさん初登場。ゴーゴリの「検察官」を読もうとするが、最後まで行かずグダグダに終わる。名前だけ一瞬だけ出てくる人たちが面白い。

 

20230624稽古場。次の公演のこととか - カハタレ日誌 (hatenablog.com)

・稲垣、丹澤、南出の制作打ち合わせの後、雑談。

ゴーゴリの「肖像画」を読んだ稲垣が、人物描写の「枠」について語る。

 

20230708 稽古ほとんど自己紹介で終わった - カハタレ日誌 (hatenablog.com)

・アキバっちょ初登場。

・初対面率高いので、先日の「枠」の話しからの繋がりで自己紹介WSをグダグダと即興で作ってやってみる。

 

蛙坂須美WS「実話怪談における幽霊表現」 - カハタレ日誌 (hatenablog.com)

・待ちに待った蛙坂須美さんによる実話怪談WS。柿内正午さん、卯ちりさんも参加。

・前世の記憶を持たないバグった幽霊感が面白い。

 

横尾圭亮WS 【ゴーゴリの外套 〜"小さき者"を巡って〜】 - カハタレ日誌 (hatenablog.com)

・横尾さんWS。ロシア演劇のことたくさん学べた。

・舞台監督の平井くん、照明の渡邉さん初登場。

・文学的類型や、出来事と事実の違いを知る。

 

20230917稽古、チラシ打ち合わせて戯曲読む。 - カハタレ日誌 (hatenablog.com)

・チラシ打ち合わせで疲弊しながら暫定的に書き上げた戯曲を読む。

L’Arc-en-Cielってアパートを宮尾さんが見つける。

・今回やりたいことをざっくり話す。

 

20230923恵子 - カハタレ日誌 (hatenablog.com)

・稲垣、髪切りすぎる。

・美術の話する。

・口の中でパチパチ弾けるお菓子食べる。

・登場人物について考えたかった。

 

20231001、1008稽古、鍋パ、アンダーソン、ジェットコースター - カハタレ日誌 (hatenablog.com)

・鍋パした。(恋バナ楽しい。)

・会話ってサービス精神だよね(秋場)

・ジェットコースターみたいな劇作りたい(稲垣)←みんなから質問攻め

 

浅川奏瑛WS「空間と身体のコレオグラフィ」 - カハタレ日誌 (hatenablog.com)

・浅川奏瑛さんWS。

・なんだかんだで今作にちゃんと影響している。

 

10/14あさき覚醒、10/21超楽しいセリフ合わせ - カハタレ日誌 (hatenablog.com)

・あさきさんが覚醒した。

・横尾さん、浅川さんのWSでやってたワークを体育会系根性でてやってみようとする。

・最終的に変なワークが誕生。そのままセリフ合わせ。

 

20231028空洞稽古 - カハタレ日誌 (hatenablog.com)

・超大事な会場での稽古。

・あさきさん別の舞台で来れないため、代役で旛山月穂さんが来てくれる、めっちゃ頑張ってくれて感謝。

・舞台美術が見えた。

 

衣装合わせたり、蛾を愛でたり、赤福食べたり、ラジバンダリー。 - カハタレ日誌 (hatenablog.com)

・稽古場日誌書くの忘れたり、あさきさんが占い師的才能を開花させたりしながら最初からつくっていく。

・アキバっちょがアップで持ち込んでくれたワークが面白かったので、本番でもこの意識を使いたいってなる。

 

稽古ラストスパート、丹澤さん誕生日。 - カハタレ日誌 (hatenablog.com)

・流石に忙しすぎて日誌追いついてないけど、丹澤さんが誕生日を迎えていたことを知り、急遽次の日にケーキで祝う。(人の誕生日、自然に祝える気遣いを持ちたいと思った。)

 

「気遣いの幽霊」戯曲 - カハタレ日誌 (hatenablog.com)

※最後にこのQR読み取ってもらえると戯曲が読めます。

 読みたい方いましたら是非です。長々とありがとうございました。

 

 

柿内正午による「気遣いの幽霊」観劇速報

池袋駅のガラの悪いほうを抜けたところにスタジオ空洞はある。客席に座り幕開けを待つ。開演前から会場の照明が断続的に消えたり点いたりするので、機材トラブルだろうかと訝るのだがそれにしては明滅のタイミングが出来すぎていて、おそらく不安を煽る演出であろうと判断する。上演が始まり、客電が落ちたとき、くすぐられ続けた暗がりへの恐れが掻き立てられるのだろうと予想して身構えておく。
 
そのくせ本編では客席を照らす明かりはほとんど点きっぱなしである。隣の客の手元はつねに視界の端にちらつき、われわれは俳優たちからも丸見えである。この芝居は、観客に安心して暗がりから覗き見るということを許してくれない。こちらも顔を晒しながら、素面で向き合わざるをえないようだ。
 
劇空間は横幅が広く取られている。そして、奥行きは奇妙なほど希薄である。横並びに置かれ真正面を向いている俳優たちの背後には不織布が吊り上げられており、向こう側から照明が照射される。人間の視野は左右それぞれ100度ほどあるのだけど、そのうち必要なものを識別できる有効視野はせいぜい20度程度らしい。だから人物が配置される平面を一目で見通すことはできない。必ず注意の死角がある。それぞれの人物は微妙に共有する時間がズレている。上手に近づくほど遠い過去であり、下手にくつろぐ男のところが語りの時制でいえば現在であるようだ。この男は右隣の女の夫のようであり、かれの左側にはまだ空間が広がっている。妻とその右隣の女、中央の友人ふたりの会話で想起される上手端の男──いちばん過去の男──が回想を始める。その語りの総体を配置上もっとも受動的であるはずの夫は聞き流す。右から左へ、西洋の劇空間の作法からしても、高いところから低いところへと流れていくその視線の運動は、縦書きの小説を読むときのそれとも似ている。この印象はほとんど禁欲的なまでに横方向の配置と運動だけで構成される平面的な画面構成によるものかもしれない。ほとんど例外的に下手から現れ上手へと果敢に移動を試みる者、それこそが幽霊である。本作において、幽霊はかそけき予感ではなく、むしろ存在の過剰であるとされる。幽霊は誰よりもこの場において浮いている。じっさい、幽霊が現れるいちばん下手の空間を区切る不織布は、客席に対して微妙に迫り上がっているのだ。
 
本筋はないに等しいというか、本筋は脱線のための口実にしかならない。この芝居はとにかく蛇行すること自体の快楽に満ち満ちている。で、なんの話だっけ。えっと、これなんの話?
 
過去の短編「犬、呪わないで」や「月の世界」もそうであったけれど、稲垣和俊の戯曲は、ある夫妻の(非)緊張関係の描写が非常に巧みである。まだ顕在化はしていない、けれども確実にそこにある不和や破調。舞台上で登場人物たちが咀嚼する団子や白滝、おなじ食べ物であっても本物の食事を頬張るシーンと、偽物を食べるふりをするシーンが混在する本作において、夫が妻に作るパスタは初めから偽物である。
 
劇場とは傾聴(の見かけ)を強いられる場である。観客は舞台上を生きる虚構の人物たちには不可視のものとして、その存在を滅却される。そのうえで、ただ静かに席に座り、面白ければ笑い、悲しければ泣くことだけが許されている。観客は、上演中、その作品が作品であるために、あたうるかぎり上演されつつあるものを気遣っている。そして、その気遣いは誰にも思い出されることはない。気遣いの幽霊とは、観客のことではなかったか。
 
気遣いの幽霊たちの傾聴によって成立する空間において、ふだん人がいかに人の話の聞いていないか、その聞いていなさをどう表現すればよいのか。言い換えれば、観客がいかに目の前の芝居を真に受けていないかを突きつけるにはどうしたらよいのか。『気遣いの幽霊』は複層化した語りのひとまずの収束点である現在の夫のすべてを聞き流す態度としてこれを示してみせる。夫は、その場で繰り広げられる豊かな脱線や、滑稽な冗漫さをすべて枝葉として切り捨ててしまう。夫は、妻の言葉のほとんどを受け取り損ね、決して現在から過去に向かって動き出そうとしない。
 
ゴーゴリの『外套』に着想を得たというこの芝居の幽霊は、現在に安住する表面上は「優しく聞き分けのよい」夫の不動の故に、けっして挾み撃たれることはない。ただそれぞれの位相からの声たちにもみくちゃにされ、挙動不審な身体のブレさえも次第に抑制されて、幽霊はけっきょくは現在よりも下手側、非在の位相へと流されていくほかないのである。
 
中盤のクライマックス、井の頭公園で三人の大人たちが大泣きするシーンは素朴に感動的である(稲垣の過去作「終わりの会」よりも泣き笑いのカタルシスがずっと洗練されている)。それは、このシーンこそが唯一、日常生活の上演を基礎づける気遣いのコードのほつれ目であり、過去や未来の意味にも囚われず、ただその場で喚起させられたものにだけ突き動かされるようにして、ひたすら泣くという行為だけが為されていたからだ。
 
 
 
執筆:柿内正午
かきないしょうご。会社員。文筆。■著書『プルーストを読む生活』(H.A.B) 『会社員の哲学 増補版』等■寄稿『文學界』『週刊読書人』他 ■Podcast#ポイエティークRADIO 」毎週月曜配信中。 ■最高のアイコンは箕輪麻紀子さん作 ■ご依頼などの連絡は akamimi.house@gmail.com
 
 
 
 

「気遣いの幽霊」関係者紹介10(丹澤さん)

カハタレ第一回公演「気遣いの幽霊」関係者紹介です。

 
プロフィールと今作に関わる共通の質問を全員に聞いています。
最終回です。
 
 
今回は出演しながら、制作もめっちゃやってくれてるカハタレの重鎮、丹澤さんです。

実はこの劇の主役です。

 

 

 

丹澤美緒(出演)

 

 


●プロフィール


座・高円寺 劇場創造アカデミー修了後、都内を中心にフリーで役者として活動。
2014 年 より演劇企画 RadicoTheatreを⽴ち上げ、演劇公演の企画制作、イベント企画等を⾏うなどするが現在事実上活動休止。
いわゆるコロナ禍でちょっと疲れていたところ稲垣くんから「戯曲書く人たちでゆるい集まり始めたいんすけど〜」的な感じで誘われて参加したはずがいつの間にかそれなりにちゃんと演劇団体っぽくなってきたカハタレが最近の主な活動。

 

 

 

●好きな食べ物
じゃがいも。なにしてもおいしい。

 

 

 

●今作の見どころ


誰かが話して誰かがそれをきくということ、それは常に起き続けている超シンプルな出来事なんだけど、人間関係において、人間社会において、かなりのウエイトを占めている根本的なことだと思います。
そんな当たり前すぎてこぼれがちなことをちょっとだけ噛みしめるそんなかんじなところ。

 

 

 

●気遣いについて思うこと


変に気を遣って失敗して落ち込むときというのがあるが、こういうときはだいたい誰も求めてない不要なきづかいしてひとりでカラ回ってるときだよね。って落ち着いて考えられるようになった。
気遣いってかなりさり気ない。ちょっとしたことだからこそ、そこにその人らしさがでるなと思います。

 

 

 

●これだけは言っておきたいってことがあったら書き尽くしてください!

 

楽しんでいただけますように!もちろんわたしも楽しみます〜

 

 

 

 

以上!
本当に以上。
これにて関係者紹介終わりです。
 
 
そして良かったら「気遣いの幽霊」来てね。
まだ26日(日)予約できます。特に17時回おすすめです。
売り止め回も当日券少し出ます。
照明も美術も演技も小道具もめちゃ面白い劇になってきましたので、いろんな方に観てもらいたいです。
よろしくお願いします!
 
 

 

 

「気遣いの幽霊」関係者紹介9(木嶋さん)

カハタレ第一回公演「気遣いの幽霊」関係者紹介です。

 
プロフィールと今作に関わる共通の質問を全員に聞いています。
お楽しみに。
 
 
今回は衣装っていうか、ほぼ美術で参加してくれてる木嶋さんです。
いつもいてくれてめっちゃ助かってます。

ケーキのチョイスがうまい。

 

 

木嶋美香(衣装)

 

 

 

●プロフィール
 
時々主催公演をしたりしなかったりしてます。
知り合いの公演のお手伝いに入る方が断然好きです。
 
 
 
●好きな食べ物は?
 
ドリアン
 
 
 
●今作の見どころは?
 
錯綜してるところ
 
 
 
●気遣いについて思うことは?
 
戯曲の内容通りと思うが、「気遣いをしていることを相手に気づかれない事」が一番良いと思うのでそれを目指したい。気遣いの努力は誰にも知られなくて良いかと。
 
 
 
●これだけは言っておきたいってことがあったら書き尽くしてください!
 
ここは善人の集まりです。
 
 
 
以上!
関係者紹介もあと数人。。
 
 
そして良かったら「気遣いの幽霊」来てね。
けっこう売り止め始まってますが、まだ26日(日)は予約できます。当日券も出るかもしれないので随時Twitterチェックしてもらえれば。