カハタレ日誌

カハタレの稽古の様子

人間の発見/『気遣いの幽霊』を通して (鈴林まり)

人間の発見
『気遣いの幽霊』を通して
 
文:鈴林まり
写真:寺岡慎一郎  
 
 
 
“大部分がSNS映えしない私たちの生”
それを尊いと歌い上げるのでも
諦めて甘んじるのでもなく、
ちょっとそこまで歩くようにして
人物たちが語りはじめる
 
 
 

(左から、あや、ともみ、佐伯)
 
 
あや  どこ向かってるの?
ともみ そうねえ、一旦、歩いてみようと思って、
    歩いてたら、見つかるもんじゃない、
    ここだって、
    今日私たちに最適なのはこの店だ、っての、
[★1、以下戯曲の引用は全て同]
 
二人は食事する店を求めて歩いている
ともみはあやに
「検索っていうか、Siri」は嫌いだと告げ、
右隣の男……彼氏・佐伯と言葉を交わしはじめる
あやと空間をともにしたまま、
先日、彼とした会話を再現する
 
 
 


 
 
長い……
早く食事する店にたどり着きたいと、私も思う
正直いま全然関係ない話を延々と聴くうちに、
あやはあっさり、左隣の男に声をかける
 
 
あや  (……)あれ、わたし、なんでこの子と
    今まで仲良くやってきたんだ?って
    自分で自分のこと不思議に
    なってきていてね、
山下  ふぅーん、
 
 
 

(あや)

 

(山下)

 

(奥から、佐伯・ともみ・あや・山下)
 
 
時制の入れ子構造が、
ホイホイッとした手付きで私たちに示される
 
佐伯くんとともみの、先日の出来事
ともみがそれを振り返ってあやに話す、後日の会話
さらにそのあと、あやが夫・山下にすべてをグチっている、
「今」と言うべき時間
 
会話は、4人の人物、3つの時空の間を
ひらひら横断しながら、
どこに向かっているのかさっぱり分からないままだ
ともかく、歩みは止まらない
 
あやとともみは最初に言葉を発したときから
「その場歩き」していた
客席にまっすぐ向かって立って
ほてほて、同じ場所で左右の足を上下し続けている
RPGのプレイ中、進む先のない壁際かなにかで
十字キーを押したときのように
 
 
 
 
下級役人の外套が傷んだ
ちょうど転がり込んだお金で
新調したのもつかの間、盗まれ
手続きに訴えようとするも
相手にされず死にいたり、
人々の外套を奪う幽霊となって
街をうろつくようになる
 
『気遣いの幽霊』創作の出発点になったという
ゴーゴリ作『外套』のおはなしは
こんな風に要約できてしまう
しかしこの小説の巧さはべつのところにあると思う
冒頭をほんの2、3秒読んだときもう胸に届いて、
結末まで読まなくても構わないと
充たされてしまうほどのしたたかさで襲いかかってくる
 
『外套』は第一文を、
主人公が勤める役所の具体名をぼやかすことに費やす
どこのなにと言ってしまえば差し障りが出るので申しませんが、
とある役所なのだと
 
 
 
 
佐伯  縁切り榎、やばかったよ、
    いや、なんだろう、
    語彙力がなさすぎてごめんだけど、
    やばかった。
    (……)
    なんか、つくりが、そのう、
    祠の構造が、そのう、
    負のオーラ漂ってるって感じで、
    木造の、そうだな、
    どこがどうって細かいこと
    言えないんだけど。
あや  うーわ、細かいこと言って
    ほしかったなあ。
(……)
佐伯  前のおじさんのお祈り長いなあと
    思いながら、
    俺(……)祠の前にぎっちり
    吊るされてる絵馬に
    何が書いてる[ママ]のか
    ずっと気になってて、
    (……)で、結局見なかったん
    だけど、
(……)
ともみ 佐伯くん、ごめんね、
    佐伯くんって、あれだね、
    怖い話するのとか、
    あんま向いてないね、
佐伯  え、なんで、
ともみ あんまり、あれ、とか、
    これ、とか、
    やばい、とか、
    あんまり怖い話で聞かない
    っていうか、
    しかも絵馬買わなかったり、
    絵馬の中身見なかったり、
    怖い話って結構、
    そういうとこ行っちゃうとこ
    あるじゃん、
    あるじゃんっていうか
    グイグイ絵馬の中身とか
    見ちゃう系の人が
    怪異に遭遇したりするわけじゃん、
 
 
佐伯くんは怖い話とかするのにあんま向いてない
この舞台に並ぶ4人が全員そうだ
 
 
あや  ごめん、ごめんね、これ何の話?
ともみ おでんで佐伯くんと喧嘩した話。
あや  おや、あれ、怖い話ってどうなったんだっけ?
ともみ 怖い話、なんだっけ?
あや  ひっぱたいてやろうかな、
山下  ダメダメダメダメ、
あや  この子、いっつもそうなのね、つまり、
    話し始めると止まらなくて、
    何の話してるのか忘れて
    ずっと話してて、
    わたし、ずっと、
    ずーーーっと聞いてるわけ、
山下  へー、と、まあ、
    その話を聞かされているのが
    僕ってことになるんだけど、
 
 
話は中断され、
像を結びきらないまま別の件へ焦点をずらされ続け、
ときどきある人物の心情を集中して掘り下げるけれど、
内容はたいてい微妙に共感しづらい
一言でいうと、
「私たちの生におけるSNS映えしない大半の時間」[★2]
それだけを丹念に選り抜いたような光景がつづられてゆく
 
人物たちは、個々の主観……
他の人物にとっては思い入れしづらい話を
好き勝手に語ってはいる
しかし全体からただよってくるのは、
今なんの話題に焦点が絞られているのか、以前に
この話をしたいのは一体“誰”なのか、という疑念だ
 
伝聞の多重構造を横断した会話のなかで
語り手が話を伝えようとする欲求は、
もともと話をしてきた人物の欲求と境界があいまいになる
しかし同時にみんな聞き手として、
当のその話を、もともとさほど聞きたいと思って聞いてきたわけではない
そして今ここで「自分が」これを語りたいという確信もあんまりない
 
まるで誰のものでもない言葉が空中を漂っているようだ
 
 
 

 
 
木田くんは、そんな人々のもとへ突然現れる
 
 
 



 
木田くんは幽霊で、佐伯くんに初めて出会うなり
上着をもらおうとする
ゴーゴリの『外套』で、
幽霊になった主人公の似姿のように
 
趣味は信号のボタンをカチカチ押すこと
彼女なしで亡くなった
陰キャである
狂言よろしく下手から現れて
堂々と幽霊を名乗る
 
挙動不審で独り言みたいにしゃべってばかりいるし、
数秒に一度ノッキングして話の矛先を変え続ける
ここにいることが当たり前ではないかのように
数秒に一度、自分に驚いているかのように
自分の存在を疑っている
 
 
 
 
木田くんは、佐伯がハッキリ断れなかったせいで、
ともみとのデートに乱入する
ともみは3人で遊ぶ時間をどうしても楽しめず、
木田くんをハッキリ傷付けてしまう
 
いろいろあった末、
二人は木田くんのために鍋パーティを催し、
あたたかくもてなすことにする
なぜか、あや・山下夫妻の家を会場に
ダブルカップル+木田くん、
5人での鍋パがはじまる
 
 
 

(佐伯)

 

(ともみ)

 

(木田くん)

 

(あや)

 

(山下)
 
 
 
ここで初めて全員が、同じ時空で会話を重ねる
佐伯はこの会を
お互い“気を遣わない”会にしたいと意気込み、
相手への配慮に欠けた言動や行動を繰り返す
 
鍋パは盛り上がらず、
どんどん空気が悪くなる
事態は「この話をしたいのは誰なのか?」を超えて
「私たちは今なぜここにいるのか?」の不条理劇へと突入していた
 
 
思ってみれば不思議なことだ
そんなの本当は、今にはじまったことじゃない
佐伯の木田くんへの友情は、鍋パを自分の家で催すほどには厚くない
ともみはなぜ会話の成立しない佐伯の彼女でいるのか?
あやは、ともみと気が合わないまま友だち付き合いしている
 
 
 
鍋パが始まるまでその不気味さ
……「みんなもともとさほどそこに存在したくないまま佇んでいる」
その深淵を見つめずに済んだのは、
「語り伝える」という大義があったせいではないか
 
 
 


 
 
過去の出来事は、
「語る」目的をもって呼び出される
つまり、ネタとして「必要とされる」
なぜ語るかといえば、
隣に「聞く人がいるから」である
 
それらの大義に守られているあいだ、
人物たちは「今ここにいる理由」を保証されていた
 
全員が均一な時空に集合し、
伝聞の構造が取り払われた今
みんなあまりにも、今ここにいる理由そのものが希薄だ
みんな少し、木田くんの「普通」に似て見える
 
ここにいることが当たり前ではないかのように
数秒に一度、自分に驚いているかのように
自分の存在を疑っている木田くんに、
少しだけ似ている
自然そうに振る舞って、それを見ないようにしている
 
 
 
 
ある省のある局に……しかし何局とはっきり言わないほうがいいだろう。
[★3]
 
 
『外套』のはじまりでは
「役所」を描写することによって
ロシア近代社会という舞台が示されている
 
しかしその語り口に注目すれば、
「むかしむかしあるところに……」
に似ていることに気付く
 
 
おしなべて官房とか連隊とか事務局とか、一口にいえば、
あらゆる役人階級ほど怒りっぽいものはないからである(……)そんな次第で、
いろんな面白からぬことを避けるためには、便宜上この問題の局を、
ただ【ある局】というだけにとどめておくに如くはないだろう。
さて、そのある局に、【一人の官吏】が勤めていた――官吏、といったところで、
大して立派な役柄の者ではなかった。背丈がちんちくりんで、顔には薄あばたがあり、
髪の毛は赤ちゃけ、それに目がしょぼしょぼしていて、額が少し禿げあがり、
頬の両側には小皺が寄って、どうもその顔いろはいわゆる痔もちらしい……
[★3]
 
 
外套のほころびを出発点に、
主人公がたどる道のりについては
さきに見たとおりだ
 
その流れをおとぎ話の構造で捉え直すとき
近代社会制度は批判の対象というよりも、
深い森をさまようとか、クジラのおなかにいっぺん入るとか
狼と攻防して命を落としたり生き延びたりする類の
通過儀礼〔イニシエーション〕を経験させる場、
つまり、異界として設えられているように感じられる
目的地ではない、一時的な滞在地
 
規格外の心情は無とみなされる人工の異界を通過して、
小役人は幽霊に生まれ変わる
喪われゆく世を物語へ移住させて残そうとした
歴史上、世界中、あまたの作家の執念へ連なるように
 
 
 
 
さて、
 
 

 
 
鍋パで木田くんをもてなすメンバーのなか、
山下だけはホスト役を押し付けられた理不尽を嘆き、
主体的に葛藤する様子を見せている
ガマンが限界に達したとき、
外に出て歩こうとみんなに提案する
 
すごい!
この人は自分の意志で提案したのだ
 
 
 
 
舞台は、あやの語りで閉じられる
あのあと、誰も木田くんのことを覚えていないというのだ
 
あまりにも素朴な理解だが、
木田くんが消えたのは
山下が自分の意志を「見つけた」からではないかと
私は思う
 
決然と主張できる人間になったとか、
個を確立したとか、
他者を尊重しながらも自分軸で生きられるようになったとかいう
自己啓発的なニュアンスではない
 
“もうやめさせてもらうわ”
そんな感じでパリッとツッコむ力が
もともと彼のなかにあった
 
でもそれは山下が、
「木田くん」は自分のなかにいると
痛いほど認めたからなしえたことなのだと私は思う
 
 
 




 
 
 
 
★1:稲垣和俊『気遣いの幽霊』戯曲
 カハタレ日誌
 
★2
WEBライター同士の雑談で、
恐怖をあおる以外の方法でアクセス数を伸ばす方が
世の中も自分たち書き手も幸せなんじゃないか、
と話したことがある
 
この情報を見逃すと損をするとか、
今すぐこの行動をやめないと
危険だ、嫌われる、不健康になるといったたぐいの
不安をあおる文句で記事を開かせる
 
このお決まりのやり方
私たちは貧相なコミュニケーションを繰り返し、
読もうとした行為が危機感のわりに徒労に終わる経験を積み重ね、
不信感、おおげさに言えば虚無へと一歩一歩近づいているのではないか
 
しかし同時に、
不安であれ、暴露であれ、絶景、動物、美人、裸であれ
具体性とディテール、リアリティ、希少性の演出が
オンラインで注目を集めるための主たるテクニックのひとつであること
その原理自体を、あるがままに見つめる必要はあると思っている
 
★3:ニコライ・ゴーゴリ(平井肇)『外套』
 
 
 
 
執筆者:鈴林まり
名古屋出身の舞台俳優・ライター。
OL生活と日本舞踊名取取得を経て、
2012年より、主にSPAC−静岡県舞台芸術センターにて国内外の公演に出演。
同年より劇評・ネットコラムなどを書きはじめる。
2020年を機に、動画作りをスタート。
脚本・音楽・ナレーション・編集をトータルに行うスタイルで、体感の伝わる作品を目指す。

X:@mari09april