カハタレ日誌

カハタレの稽古の様子

桐澤千晶ワークショップ「孤独の記録2022」まとめ

【まとめ】 桐澤筆

WS①

「孤独の記録」を残すにあたって、「孤独感」を感じやすい時とあまり感じない時、全然感じない時がある。参加メンバーにも記録が多い人と少ない人がいて、どんな時に「孤独」はやってくるのかも話し合えたことが興味深かった。「孤独」の周りにはその時の自分の体調や環境、他者の存在、社会的な要因、自然現象が取り巻いていて、いろんな角度からの説明が必要になるような気がする。参加者は言葉を駆使して自分の感じた「孤独」を伝えてくれたから話す方も聞く方も個人的で繊細な内容にも触れてしまうことがあった。それでも全員がこの期間「孤独」というものにアンテナをはって生活していたのでだれかを傷つけるようなやり取りにはならなかったのではないかと思う。

WS②

WS①を受けて2週間の間にシーンを作ってくるという課題。カハタレのメンバーはこの課題は得意だったようで私の想像以上の数と内容のシーンが集まった。どれもWS①の記録と話し合いをしっかり受けていた。特に話し合いの中からインスピレーションを得ていることで、「記録」時点では孤独をあまり感じていない参加者も沢山シーンを作っていた。

シーンから「孤独」を浮かび上がらせるということの難しさはみんな感じたようだ。

特に「会話」として孤独を浮かび上がらせる難しさがあるように感じた。とはいえこの課題でしか出てこなかったシーンが誕生したことが収穫だった。

シーンをどう繋げて発表するか真剣に検討したが次までの2週間で立ち上げるのは現実的ではないと途中で気づき断念。

WS③

3分以上10分以内でWS①②を受けて個人パフォーマンスを発表する。観覧者3名。

あみだくじで順番を決めた。丹澤→桐澤→稲垣→杉原→南出→木嶋

全員が見事に違うアプローチのパフォーマンスにしあげていた。

【丹澤】修行。座禅のような。薄暗い空間

【桐澤】見たものを発話。目線の動き。

【稲垣】手持ちのiPadを使って電車のアナウンスやポテトチップスなど音を効果的に使い話しかける。

【杉原】ある男の1日。音楽とシンクロする身体パフォーマンスと道化味のある語り。

【南出】Siriとラップバトル。孤独の記録リリック。

【木嶋】朗読。産道から死後まで。輪廻。生死観を省みたくなる文章。

意図せず丹澤から木嶋で一周するようなところもあった。

東池袋第四区民集会所 和室の特性を利用した空間づくりも工夫されていて杉原さんは特にふすまをうまく使っていた。

発表後すぐ感想会という形式で一人ずつやっていった。約3時間の長丁場になったが観覧者も含めて感想と発表者の創作過程を丁寧に聞けて良かった。最後の木嶋さんの発表後は生死観の話にもなり、「こんな話になることが珍しい」と言いながらそれぞれの話に聞き入った。

【全体まとめ】

今回は「孤独の記録」ということで「孤独」に焦点を当てる作品創りを課題としていたので、「形にしていく過程で「孤独」がなくなってしまったように感じた。「孤独」表現って何?」

という振り返りもあった。

自分が感じた「孤独の瞬間」を起点に「記録」し参加者と共有し再構築し発表(上演)する。そこで起点であった「孤独の瞬間」が様変わりしていることが面白いと思う。

「孤独」を記録したり、話し合ったり、作品にして発表できる場があることで、「孤独の瞬間」が自分から減っていくという作用もあると感じる。WS①で記録した期間はほとんど「孤独」を感じなかったという人がいたようにいつも誰でも「孤独」なわけではないのだろう。

そもそも「孤独」って何?なのである。人それぞれの定義があるだろうし、定義さえもないようなものかもしれない。でももし「孤独」という言葉さえなかったら捉えどころがなさすぎる感情、状態なのではないだろうか。

WSにすることで「孤独」をそっとしておかないことはできたように思う。とらえどころがないながらも参加者と周辺をしげしげと観察してみることができた。

そのままに表現(上演)することが難しいこともわかった。それでもそれぞれ「孤独」の話はドラマチックであり、時には共感してしまった。発表(上演)もこの課題でなければ出てこないような表現や言葉にあふれていた。

参加者と観覧者が発表と感想会を合わせて「孤独」を捉えようと真剣にアプロ―チした3回だった。それは「孤独」だけではなく形のない何かを発表(上演)する時に活かせる方法かもしれない。